22歳で結婚した私は、田舎暮らしになじめず、義父母との同居生活にも違和感を持つようになり、少しずつ心が家族から離れていきました。主人につらく当たることも多く、自分を認めてほしい苦しさから、家族との会話も減っていきました。そんな生活を変えたいと友人に相談しました。

 すると、『人生読本』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。現在品切れ中)という生長の家の本を渡されたのです。その本には、「自分が、自分が」と考えていた自分が生きているのではなく、神様の生命(いのち)が生きているということが書かれていました。「自分が」という我(が)の心が私にもあったことに気づき、この教えをもっと学びたい、家族と仲よくなりたいと思いました。

 早速、生長の家福井県教化部*1へ行き、練成会*2に参加しました。「神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という講話が心に残り、私の不幸は義父母のせいではなく、原因は自分にあったと気づき始めました。
*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 合宿形式で教えを学び、実践するつどい

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 そんなある日、義父が交通事故に遭って入院し、認知症も発症しました。私が看病をしていた時、義父が突然「家族が一番大事」と言いながら、病院のベッドの上で天井に向かって釘(くぎ)を打つ仕草をしました。義父は昔大工だったのです。その姿を見て、懸命に仕事をして家族を支えてきた義父の人生に思いを馳せ、私は義父に対して愛が足りなかったと涙が止まりませんでした。

 その後、義父は退院したものの、精神的に不安定な日々が続きました。私は今こそ義父の実相*3を観る時だと思い、神想観*4中に、ふと「愛の表現をしているか」という言葉が心に浮かんだのです。それから愛を表現するように心がけると、義父はニコニコと優しくなり、その7年後に天寿を全うしました。
*3 神によって創られたままの完全円満なすがた
*4 生長の家独得の座禅的瞑想法

 家族から反対され、内緒で生長の家の信仰を続けていましたが、家族に愛の表現を続けるうちに、私の中に家族に対する感謝が湧き上がってきました。そんなある日、家で誌友会*5を開きたいと義母と主人に打ち明けました。反対されるかと思いきや、義母も主人も誌友会に参加してくれるようになりました。「自分が変われば、相手が変わる」ことを実感した瞬間でした。
*5 教えを学ぶつどい

siro166_sinkou_2

 その後、義母の介護が必要になり、主人と二人でお世話をすることにしました。しかし、その主人も心不全で他界し、その時、先祖代々の農業を引き継ぐ覚悟をしました。一方で介護が一層必要となった義母を、施設に預ける覚悟もしなければなりませんでした。

 しかし、義母を施設に預けると世間の批判を受けたり、「父母に感謝」という生長の家の教えに反したりするのではないかと悩み、教化部長*6に相談しました。すると、「本人が一番幸せに暮らせる方を選びなさい。大事なのは、お義母さんに寄り添う心です」とご指導いただきました。「“寄り添う心”とはどういうことなのか。心を寄せてお世話をしていただろうか」と、そんなことを思いながら義母の幸せを祈り、義母の気持ちに寄り添うことにしました。
*6 生長の家の各教区の責任者

 現在、95歳になる義母は、施設でお世話になっています。施設ではいつも家族のことを心配してくれていて、「私は毎日楽しい、心配いらん。家のことを頼む。身体に気をつけや。ありがとう」と言って、嫁の私のことを心配してくれます。観世音菩薩様*7となって私を生かし、生長の家に触れさせてくれた義父母に感謝しています。
*7 周囲の人々や自然の姿となって現れて、私たちに教えを説かれる菩薩

I.T.(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会福井教区連合会長。「自然と共に生きる」信仰を孫たちにも伝えたいと、一緒に野菜作りをしている。日々農作業に奮闘中。