私はアメリカの大学院時代に出会った主人との結婚を機に、故郷のミャンマーを離れ、日本で暮らし始めました。一人娘が生まれた後、一時アメリカへ移ったものの、義父が亡くなると、主人の故郷である沖縄で義母と暮らすことになりました。義母は生長の家の教えを熱心に信仰し、その教えは私が信仰してきた仏教に似ていました。義母との暮らしの中には信仰が生きていることに感動し、生長の家に興味を持った私は練成会(*1)に参加して教えを学ぶようになりました。

 子育て、土木設計士の仕事、生長の家の信仰で充実した日々を送る中、主人と私には共通の趣味がありました。それはランニングとサイクリングです。しかし、3年前に主人と参加したサイクリングイベントで主人が心筋梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの脳に深刻なダメージを受けました。

 突然の出来事で、主人と互いに補い合い、支え合ってきたから頑張って来られた私は、主人の助けがない一人の生活に不安と恐怖を覚えました。主人が倒れた事実を受け入れられず、私が何か悪いことをしてバチが当たったのではと、自分を責め続けたのでした。

 その3週間後に生長の家沖縄教区で講習会があり、私は主人の病院に通いながら、白鳩会(*2)連合会長として講習会を成功させることに必死でした。その時気づいたのは、推進に集中している時は安らかな心でいられることでした。

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イラスト/せのおりか

 しかし、生長の家の皆様の支えがありながら、主人の症状が回復しないことに苦しみ、祈ったり聖経(*3)を誦げる気力もなく、誰かに祈ってもらおうと助けを求めるばかりでした。そんなある日、生長の家の講師から、「最後は自分自身で立ち上がらなくてはいけない」と言われたのです。その言葉に、私自身がしっかりしなくては前に進むことはできないと気づきました。そして、過去に職場での人間関係に苦しみ、仕事を辞めたいと思っていた時、主人から「ここで諦めて仕事を辞めてしまっても、同じことの繰り返しになってしまいますよ。あなたは何のために今まで生長の家の勉強してきたのですか?」と言われたのを思い出したのです。

 脳に障害が遺り、物事の判断ができない状態になっているこの時も主人は、生長の家の教えを忘れそうになっている私に、一緒に立ち上がろうと心の中で声をかけてくれているようでした。

 私の心の支えとなった生長の家の二つの教えがあります。一つは「人間は神の子で、神は善一元の絶対的な存在であり、本当にあるものはただ善のみである」ということ。もう一つは「悪は無いのである。引っかかるのが悪である。明るい面だけを見る日時計主義を生きることが生長の家の生活だ」ということです。この教えを心の底から信じることで悩む必要はないと心の持ち方を変えることができ、今この瞬間が、生長の家の勉強の成果を生かす、魂の進歩にとって最高の機会であると感じられるようになると、やる気が漲ってきました。そして、信仰を生かす生活に少しずつ戻っていきました。

 現在、施設でお世話になっている主人は脳の機能障害が進み、私のことも分からない状態になってしまいましたが、今、私は本当の意味での喜びに満ちた生活を送れるようになりました。それは、主人が身をもって私に一人で生きる自由と勇気を与えてくれたからです。たとえどのような状況であっても心の持ち方次第で幸せに生きる道はあると、主人は教えてくれたのです。

*1 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*2 生長の家の女性の組織
*3 生長の家のお経の総称

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大城ミンミントウ(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会沖縄教区連合会長。ミャンマー出身。土木設計士としてアメリカ軍基地などに勤めてきた。現在は定年退職し、今年から習字を習い始めた。