吾々(われわれ)が「感謝」するのは何か有難いことが起こってからはじめて感謝するのではないのであります。有難いおかげがあって、それに対して感謝するのでは、誰でもするのであって、そういうのは「信仰」でもなければ「宗教」でもないので、吾々のいう信仰生活は、先(ま)ず「感謝」から始まるのであります。
(谷口清超著『愛と祈りを実現するには』145ページ、日本教文社刊)

 
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感謝の思いは、魂の悦びにつながります

 

感謝の思いを深める

 
 生長の家では「感謝」の大切さを説いています。私は生長の家の信仰生活を送る中で、たくさんの嬉しいこと、楽しいことに恵まれて、感謝していました。一方、つらい経験で悩み苦しんだ時に感謝することが、いかに難しいかということも学びました。私の場合、重度の脳梗塞になり、自分一人では何もできなくなった時、本当の感謝に目覚めたように思います。

 体が思うように動かず、思ったことが口にできなくなり、人様のお世話になる期間が何年も続きました。多くの方達のお見舞いや励まし、惜しみないお世話にどれほど慰められたか分かりません。そんな中、いつしか感謝の思いが深まり、「私は愛されている、生かされている、ありがとうございます」と、心の底から大安心(だいあんじん)の境地に入りました。当たり前と思ってきたことが、本当は神様の愛そのものだったと感得できたのです。

すべては神の恵み

 
 自分に起こる善いと見えることも、そうでないことも、「人間は神の子」という自覚を深める機縁であると学びました。いまでは、些細なことにも愛情を持って接することができます。その土台となるのが日々の生活への感謝で、それは私の魂の悦びとなっています。
生長の家創始者・谷口雅春師は、『神と偕に生きる真理365章』(日本教文社刊)で次のように説かれています。
* 昭和60年昇天

「日常生活の誰にでも出来るような当り前の小さな出来事を真面目に真剣に誠実にマコトをもって処理し、どんな小さな出来事に対してでも、それが神の恵みであることを知り、感謝をもって生活することである」(100ページ)
私たちは感謝して生きることで、魂は悦びに満たされていくのです。
(中西敦子・生長の家本部講師補)


 

手記|
母と義母への感謝にめざめ、末期がんが癒える

 

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撮影/永谷正樹

石田孝子(79歳) 京都市南区

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 私は生後2週間で叔父夫婦に預けられました。叔母はしつけが厳しく、近所の人からは捨て子だと言われ、寂しい思いをしていました。

 母は毎月、2つ年下の弟を連れて、叔父夫婦の家に来ました。私は母が迎えに来てくれたと喜びましたが、いつも弟の手を引いて帰ってしまい、母に捨てられたと、悲しくなりました。

 叔父は布団店を営んでいて、住み込みの職人さんたちもいました。私はその雰囲気になじめず、孤独を感じていました。それを両親、とりわけ母のせいにしていたのです。

 私が実家に戻ったのは、小学校に入学する頃でした。母は生長の家の教えを熱心に信仰していて、家の中のあちこちに「ありがとうございます」と書かれた短冊を貼っていました。しかし、私は腹立たしくて、すべて破り捨てました。また、母が「大調和の神示」*1を声を出して読んでいる時、「汝(なんじ)の子に感謝せよ」という一節が聞こえてくると、「私にも感謝しろ!」と怒鳴っていました。
*1 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉

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 その一方、自宅で開かれていた神童会*2は大好きでした。青年会*3のお兄さん、お姉さんたちと遊んだり、紙芝居をしたりするのが楽しかったからです。神童会の講師に、生長の家宇治別格本山*4へ連れて行ってもらったこともありました。その時、たまたま谷口雅春*5先生が来られていて、遊んでいる私に「元気ですばらしいですね。神の子ですね」と握手をして下さったことを、今も鮮明に覚えています。
*2 幼児や小学児童を対象にした生長の家の学びの場。現在は生命学園に改称
*3 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*4 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*5 生長の家創始者、昭和60年昇天

 思春期になると、さらに反抗的になり、不良仲間と遊び、暴走族にも入りました。しかし、心が満たされることはありませんでした。結婚願望も全くなかった私ですが、ある男性と出会って幸せな家庭を作りたいと思うようになり、35歳の時に結婚しました。

感謝の言葉が、義母を変えた

 
 2年後に長女が生まれた頃、夫のきょうだいが集まって、誰が義母の面倒を見るのかを話し合いました。義母は義兄や義姉の家をたらい回しにされているようで、気の毒に思った私は、義母を引き取ってお世話をしようと決心し、夫も承諾してくれました。

 ところが、同居生活が始まってすぐ、なぜ義母がたらい回しにされたのかが分かりました。義母は毎日お酒ばかり飲み、パチンコやギャンブルにお金を使うのです。家計が圧迫されて、私は朝から晩まで4つの仕事を掛け持ちしなければならなくなりました。

 さらに、義兄や義姉が義母の様子を頻繁に見に来て、いつの間にか家族を連れてわが家へ居候するようになりました。私は片時も心が休まらず、この苦しさから逃れたいと思いました。

 そんな時、ふと子どもの頃に握手していただいた谷口雅春先生の手の温もりが蘇ってきて、先生にお会いした宇治別格本山に行けば救われると思い、練成会*6に参加しました。
*6 合宿形式で教えを学び、実践するつどい

 そこで初めて「天地一切のものへの感謝」が生長の家の教えの根本であり、「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と教えられ、父母への感謝がいかに尊いものであるかを学びました。感謝どころか両親を恨んでいる私は救われないのかと不安に思い、楠本加美野講師(故人)に個人指導をしていただきました。

 すると、「あなたがご両親のことを嫌いでも、父母や祖父母、曾祖父母、ご先祖がいなかったら、あなたはこの世に存在しないんだ」とおっしゃいました。そして聖経『甘露の法雨』*7を毎日読誦することと、「ありがとうございます」という感謝の言葉を唱えるように指導していただきました。
*7 生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中

「私はこの教えで感謝の大切さに目覚め、救われました。これからもますます生長の家の教えを伝える人類光明化運動に邁進したいと思います」

「私はこの教えで感謝の大切さに目覚め、救われました。これからもますます生長の家の教えを伝える人類光明化運動に邁進したいと思います」

 また、居候する義兄や義姉のことを藤原敏之講師(故人)に相談すると、「あなたが神様に代わって義兄や義姉に愛を与えなさい。お世話をするのなら喜んでしなさい」と言われました。

 先生方のアドバイスは私の心にスーッと入ってきて、なぜか嬉しくてたまらなくなりました。「ありがとうございます!」と何度も唱えながら、晴れ晴れとした気持ちで、宇治川の堤防をバイクで走って帰宅しました。

 それ以来、仕事や家事をしている時も、「ありがとうございます」と唱え続けました。それでも心の中に悪い感情が出た時は、宇治別格本山へ行きました。数えきれないほど何度も通い、神想観*8を行じているうちに、私の心はだんだんと変わっていきました。
*8 生長の家独得の座禅的瞑想法

 ある日、心の中で「夫は正直で働き者。ありがとうございます」と唱えていると、夫を生んでくれたのは義母だと思い至りました。居ても立ってもいられず、「お義母さん、夫を生んでくれてありがとうございます」と義母に伝えました。すると義母は喜び、次第にお酒もギャンブルもやらなくなりました。やがて、義兄や義姉も荷物をまとめて出ていきました。

母と同じ信仰を持つ喜び

 
 平成18年のある日、義母を病院へ連れて行った際に、私も診てもらいました。少し前から脇の下のしこりが気になっていたのです。検査結果は「悪性リンパ腫でステージ4」。つまり末期がんでした。喉と背中にも転移していて、放射線と抗がん剤による治療が始まりました。入院中に『生命の實相』(谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻)や『新版 真理』(谷口雅春著、日本教文社刊。全11巻)を貪るように読むと、両親のことが頭をよぎりました。

両親の遺影を手に

両親の遺影を手に

 ずっと反抗ばかりしていて、父や母はどれほど寂しかっただろう。生まれたばかりの私と離れて暮らすのは、どれほど辛かっただろうと思いました。でも、今こうして母が心の支えにしてきた生長の家の教えを、私も信仰していることがとても嬉しく、有り難いと思いました。

 治療の合間に生長の家総本山*9で開催された団体参拝練成会*10へ京都第一教区の皆様と参加しました。歩くのもやっとの状態で、浄心行*11の時に苦しくなって倒れてしまいました。
*9 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*10 生長の家総本山に教区単位で参拝し、受ける練成会
*11 過去に抱いた悪感情や悪想念を紙に書き、生長の家のお経『甘露の法雨』の読誦の中でその紙を焼却し、心を浄める行

 教区の皆様が倒れた私を部屋に運ぶと、背中の下の方に小さな穴ができ、そこから大量の血液と膿が出て、シャツが赤と黄色で染まったそうです。すぐに皆様が風呂場へ連れていき、膿を洗い流してくれました。帰宅後に病院へ行くと、不思議なことにがんは消えていて、医師も驚いていました。

 私はがんに罹ったことで、母にも心の底から感謝できる自分になることができ、さらに信仰の力でがんを克服できたのだと思います。

 母は平成19年に亡くなりましたが、私が生長の家の教えを信仰していることをとても喜んでくれました。一方、義母は故郷の徳島県で老人ホームに入り、すっかり穏やかになりました。平成21年に亡くなるまで、聖経『甘露の法雨』を毎日読誦していたそうです。今も母と義母、そして私を支えてくれた夫に感謝しています。