パレスチナ難民、シリア難民など戦争や紛争、弾圧、迫害などによって故郷を追われた人々は世界で8240万人に上っている。
難民の現状はどうなっているのか、難民支援のためにどのような活動が行われているのか、難民を救うために私たちができることは何かなどについて、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の日本における公式支援団体である、国連UNHCR協会事務局長の川合雅幸さんに聞いた。
世界の難民の現状とUNHCRが130カ国で行っている支援活動について語る川合雅幸・国連UNHCR協会事務局長(東京都港区南青山の国連UNHCR協会の事務所で)
川合雅幸(かわい・まさゆき)さん(国連UNHCR協会事務局長)
聞き手/遠藤勝彦(本誌)写真/堀 隆弘
UNHCRの歴史と活動の内容
世界130カ国で難民支援
──まず、UNHCRとはどんな組織で、どういう活動をしているのかについて教えていただけますか。
川合 UNHCRは、「The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees」の略で、国連難民高等弁務官事務所という意味です。
ユニセフ(国連児童基金)、WFP(世界食糧計画)、WHO(世界保健機関)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)などと同様、国連の専門機関の一つで、難民を保護・支援する活動を行っています。
設立されたのは1950年で、51年から3年の暫定期間で、第二次世界大戦後、ヨーロッパにいた難民を母国に帰還させる活動を始めました。
ところが暫定期間を過ぎた後、中東、アジア、アフリカなどで民族や宗教の対立が頻発し、多くの難民が出てしまったため活動を継続し、その領域がだんだん増えていったんですね。
現在は世界約130カ国で活動を行っており、当初1000人ほどだった職員数も1万8000人になり、その内日本人職員は約90人、支援の最前線で活躍しています。
──活動の領域が増えてしまったことは残念ですが、支援の輪は広がっているんですね。
川合 そうですね。UNHCRの支援活動の最大の特徴としては、例えば紛争が起きて避難民が出たら、72時間以内に緊急支援チームが駆けつけるということがあります。
それだけでなく将来的に難民が母国に帰還したり、第三国で定住したりと、最終的に安住の地を得られるまで寄り添うという姿勢が評価されて、1954年と1981年にノーベル平和賞を受賞いたしました。
国際的ネットワークによる支援
子どもたちの保護活動にも尽力
──具体的にはどんな支援活動を?
川合 支援団体や専門機関、パートナー団体を繋ぐ国際的な支援ネットワークを構築し、主に次のような活動を行っています。
①人道危機の際の緊急チームの派遣、②シェルター(避難所、仮設住居)や水、医療品の提供、③大規模な難民流出の際には大型空輸機を手配し、救援物資を輸送、④教育の提供、⑤エイズなどの感染症予防対策と啓発活動などです。
こうした国際的なネットワークによる支援の他に力を入れているのが、難民の保護推進活動です。
1951年に制定された「難民条約」及び1967年に制定された「難民の地位に関する議定書」、「無国籍者の地位に関する1954年条約」、「無国籍の削減に関する1961年条約」への各国の加入の推進、それと並行して、行政指導や運用ガイドラインなどを含む国内の難民法の制定・改正や、難民の地位決定の手続きが行えるよう支援しています。
──難民の中には子どもたちも多いと聞きますが、その保護はどうされているんですか。
川合 おっしゃる通り、世界の難民の42%は、18歳未満の子どもたちです。
故郷を追われた難民の子どもたちは、親とも引き離されて故郷から遠く離れた避難先で幼少期を過ごすこともあり、2018年から2020年の間に約100万人の子どもが難民として生まれているという現実もあります。
そうした状況下で子どもたちは、虐待や暴力、ネグレクト(育児放棄)、搾取、あるいは人身売買、徴兵などさまざま危険にさらされます。
そのため、親と引き離された子どもたちを保護し、家族を追跡して再統合できるようにしたり、子どもが生まれた場合の登録、障がいを持った子どもの支援など、コミュニティで再び生活できるよう支援したりしています。
シリアからの難民は600万人
難民の8割以上は隣国に避難
──いま、世界の難民の状況はどうなっているんでしょうか。
川合 グラフを見ていただくと、2020年末時点で紛争や迫害により移動を強いられた人、故郷を追われた人は8240万人で、そのうち国境を越えて他国に逃れた難民と言われる人たちは、約2640万人に上っています。
難民の出身国で多いのは、グラフの通り、シリアが一番多くて600万人を超えており、ベネズエラ、アフガニスタン、南スーダン、ミャンマー、コンゴ民主共和国が続くという状況です。(*)
難民の受け入れ国としては、トルコが最も多く、コロンビア、ドイツ、パキスタン、ウガンダ、アメリカの順になりますが、難民の8割以上が開発途上国に避難しているんですね。
──やはり近い国へ避難するということでしょうか。
川合 そうですね。早く自分の国に戻りたいという気持ちがありますし、長距離を移動して避難するにはさまざまな困難が伴いますから、まずは隣国に避難することになるんだと思います。
人口密度が高いキャンプで
肩を寄せ合って生きる難民
──難民の人たちは、どんな生活を送っているんでしょうか。
川合 この写真は、ミャンマーからバングラデシュに逃れてきたロヒンギャ難民が避難生活を送っているキャンプなんですが、世界でもっとも人口密度が高いキャンプと言われていて、東京都の千代田区ぐらいの面積のところに80万人以上の難民が肩を寄せ合っている状態です。
ここは海の近くで、草木が茂っていた場所でしたが、80万人が押し寄せ、調理などのためにどんどん木を伐採したので、地盤がみるみるうちに弱くなってしまいました。
そのため、UNHCRでは、2018年〜19年にかけて植林をしたり、液化石油ガスを導入してできるだけ木を切らないで済むような支援をしました。
──UNHCRのホームぺージには、過酷な冬を前にシリア難民の救済が急務ともありましたが。
川合 その通りで、これがシリア難民の写真です。
現在、レバノンなどシリア周辺諸国に避難しているシリア難民は約564万人を超えており、冬の厳しい寒さは、着の身着のまま逃れてきた難民の生活を容赦なく直撃し、特に幼い子どもたちや高齢者などは命の危険にさらされています。
レバノンやヨルダンなどのシリア周辺諸国では、冬は気温が氷点下になるので、避難生活を送っているシェルターは凍えるような底冷えがし、夜も眠れないほどの寒さになります。
そこで、難民キャンプやキャンプ外で暮らす難民に、トタンなどシェルターの壁や天井を補強するための防寒材や工具を提供し、寒さから難民を守る活動を行っています。
枠を超えて人道的立場から
難民を支援した緒方貞子さん
──難民支援の活動で、すぐ思い浮かぶのが、緒方貞子さんです。緒方さんは、どんな功績を残されたんでしょうか。
川合 私も直接は存じ上げないんですが、1991年から10年間、女性で初めてUNHCRのトップである国連難民高等弁務官を務め、難民支援に多大な功績をあげられました。
緒方さんが国連難民高等弁務官に就任された1991年は、冷戦が終結した時期で、その後、旧ユーゴスラビアでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起きました。
3年半以上、全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万人、難民・避難民20万人が発生し、第二次世界大戦後、ヨーロッパで最悪の紛争となったわけです。
そんな中、緒方さんは、ボスニア・ヘルツェゴビナでもっとも多い人口を擁するサラエボで難民・避難民を救済するべく、停戦の合意がされていない状況だったにもかかわらず、UNHCRによる救援活動を行いました。
1991年には、中東でイラクによるクウェート侵攻をきっかけに湾岸戦争が起こり、それを機にイラクのクルド人が武装蜂起し、制圧しようとするイラク軍から逃れるため、わずか4日間のうちに180万人のクルド人がイランやトルコの国境地帯に避難したわけです。
そのうち40万人のクルド人がトルコに逃れようとしたんですが、トルコ政府が入国を認めなかったため、国内避難民として国境地帯に留まることになりました。
当時のUNHCRでは、国内避難民の保護ということは直接的なミッションではなかったため、支援すべきか否か議論になったんですが、緒方さんは人道的な視点から人命を守るため、彼らを保護し支援することを決断されたんです。
──具体的にはどんな活動をされたんですか。
川合 短期間にできる限り多くのUNHCR職員を集めてイラクに派遣し、間もなく冬を迎えようとする中、クルド人の出身地である北イラクに難民キャンプを設営しました。
また、キャンプの治安維持のため、イラク北部の駐留期間を延長するようアメリカ軍に要請したんです。
この時、緒方さんは、それまでの難民保護の考え方を超え、人道的見地という、新しい支援の枠組みを作り出し、それが現在のUNHCRに引き継がれています。
緒方さんは他にも、ルワンダ虐殺における難民支援においても大きな功績を残しました。
「難民鎖国」と言われる日本
極めて少ない難民認定数
──ところで、日本は「難民鎖国」と言われ、難民保護国から「国際的な責任を果たしていないのではないか」という声も聞かれます。
日本では難民をどのように受け入れているんでしょうか。
川合 ドイツでは、2020年に約5万人が難民の申請をして約4分の1が認定されましたし、アメリカでも4万人が申請し、その3割が認定され、フランスやカナダなども同じような状況にあります。
ところが日本では、2020年に3936人が難民申請をして認定されたのは47人、その前年は1万375人の申請に対して認定は44人という低さでした。
歴史をさかのぼっても、日本が難民条約に加盟した1982年から2016年末まで難民認定制度を通して受け入れた難民は、わずか688人、17年も1万9629人の難民認定申請に対し、認められたのは20人だけです。
各国の置かれた状況が違うため、単純な比較はできませんが、極めて少ない認定数であることは確かだと思います。
難民問題は遠い国の話ではなく
私たちの身近にある問題
──お話を聞いて、難民問題は遠い国での話、他人ごとではなく、身近なことなんだということを痛感しました。
川合 そういうふうに考えていただけると大変嬉しいですね。
難民は特異な人というわけではなく、本来は私たちと同じように、さまざまな仕事をし、普通の生活をしていた人たちなんです。
教育レベルが高く、裕福な生活をしていた人もいるわけで、そうした人たちが紛争などによって着の身着のまま逃れざるを得なかったというわけなんですね。
どこの国においても、身近なところに困窮している人がいたり、道端で倒れたりしている方がいたら、誰でも助けるはずです。
一方、難民の人たちと接する機会が限られていると、なかなか自分の事としてとらえることが難しいですが、難民の現状というものを知ったら、人道的な立場から誰しも救いの手を差し伸べなければならないと考えるようになると思います。
ですから私たち国連UNHCR協会としては、できるだけ広範囲にわたって、世界の難民問題の現状を知っていただくという啓発活動を展開しているわけです。
難民支援の輪を
親戚や知人に広げていただきたい
──最後に読者へのメッセージをお願いします。
川合 この記事を読まれて、世界の難民問題の現状を知られた皆さんは、すでに難民支援の第一歩を踏み出しています。
ただ難民支援について、「すごく立派なことだけれど、やはり大変そう」などと思うことで、次のステップに踏み出せずにいる方もいるかもしれません。
あまり難しく考えないで、まずはNPO主催のイベントなどに参加されたり、難民問題を身近に感じていただくための「いのちの持ち物けんさ」(中高生・大学生対象)というワークショップをしていただいたりすれば、他人事だった難民問題が少しずつ自分の事として考えられるようになります。
弊協会では、小学生向けのワークショップも対応していますので、ぜひ一度ご体験ください。
その上で、私どものホームページからご寄付などの支援の登録をしていただけたら幸いです。
そして、その輪を親戚や知人の方に広げていただければありがたいと思っています。
(2022年1月31日、インターネット通信により取材)
*本欄の取材後、2月24日に発生したロシアによるウクライナ侵攻により、ウクライナから近隣諸国に逃れた難民は、UNHCRの発表によれば、3月15日時点で300万人を超えており、いずれ400万人を超える可能性があるとしている。
難民の最新状況およびご寄付はこちらから
https://www.japanforunhcr.org/
あなたのご寄付により、救える未来があります。
紛争・迫害に苦しむ人々にご支援を。
1人でも多くの難民を守るためUNHCRは約130カ国で支援活動を行っています。
1日100円から世界の難民を救う。
寄付は税控除の対象です。