長男夫婦の不調和をきっかけに、練成会に参加して生長の家の教えを学び、先祖供養の大切さを改めて実感した。また、57歳で転籍した職場では部下を叱ってばかりいたが、「相手は自分の心を映す鏡」だと思い直したとき、部下の態度が変わっていった。

H.K.さん│76歳│静岡県磐田市
取材/原口真吾(本誌)
写真/遠藤昭彦

生長の家との出合い

 
 H.K.さんは、54歳の時に長男が結婚することになり、妻のMさんと京都に住む先方の両親の家に挨拶に行った。

 その足で宇治市の兄夫婦を訪ね、平等院を散策していた時、若い一人の男性が熱心に配っていた小冊子を受け取り、カバンに放り込んで帰路についた。

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「新幹線の中で、その『光の泉*1』という雑誌を何気なく読んでみたら、親への感謝の大切さなど道徳的なことが説かれていて、いつの間にか読み耽っていました。妻に聞くと、子どもの頃に誌友会*2に参加したことがあったそうで、生長の家との縁を感じて、もっとこの教えを知りたいと思ったんです」
*1 以前、発行されていた生長の家の月刊誌
*2 教えを学ぶつどい

 帰宅すると、『光の泉』に紹介されていた『生命の實相』全40巻(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)を買い求め、夫婦で読むようになった。

 その後、長男は結婚したが、1年も経たないうちに、息子夫婦の不調和の様子を漏れ聞くようになり、頭を悩ませた。

「よく『光の泉』の中に練成会*3で病が良くなったとか、問題が解決したとかの体験談が載っていたので、その練成会に行ってみたくなったんです」
*3 合宿して教えを学び、実践するつどい

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 早速、静岡県教化部*4の練成会に夫婦で参加し、講師に相談すると、「息子さん夫婦の問題ですから、親が口を出してはいけません」と諭された。その後、おもむろに「先祖供養はしていますか? 生長の家のお経を誦げて真理の言葉を伝えることが、一番の供養になります」と先祖供養の大切さを教えられた。
*4 生長の家の布教・伝道の拠点

「私の実家は山梨県甲府市にあり、兄は京都、姉は東京で、両親亡き後、空き家の仏壇に先祖の位牌を置いたままでしたので、大変心に響きました」

 以来、両親をはじめとする多くのご先祖様に、ただ感謝の気持ちを込めて、夫婦で毎朝仏壇の前に座って、『甘露の法雨*5』を誦げるようにした。その後諸々のことが、万事好都合に運ぶようになった。
*5 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中

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「私たち夫婦に人生の大切なことと、生長の家の信仰を深める機会を与えてくれた、まさに『観世音菩薩*6』の教えそのものでした」
*6 周囲の人々の姿となって私たちに教えを説かれる菩薩

実家の空き家問題

 
 甲府には、先祖代々のお墓と築100年を超える空き家があり、その管理をHさんが任され、年に5、6回帰っていた。しかし60代になり、この先どうしたら良いか悩み出し、尊敬する講師に相談したところ、「ご先祖様に良きお導きをお願いすると良いでしょう」と助言され、勧められたように毎朝仏前で祈りを続けた。

 1カ月程経った頃、京都の兄から、「実は、アメリカにいる長女夫婦が日本に戻り、甲府の家で塾を開きたいので、貸してもらえないか」と連絡があった。

「もうご先祖様のお導きがあったのかと、正直驚き、感動しました」

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 その後、お盆にはきょうだい3人の家族が一堂に会し、迎え火を焚き、ご先祖様をお迎えするようになってから10数年が経った。

 また日常は、塾の生徒さんたちが出入りして賑やかな家となり、空家問題は解決して安堵した。

 練成会の講話で、「いのちの繋がりは1本の木と同じで、枝葉である子孫が繁栄するには、幹である両親への感謝と根にあたる先祖への供養が大切である」ということを学んだが、本当だったと確信できた。

信頼すれば信頼が返ってくる

 
 Hさん自身、ある問題に直面したこともあった。

 自動車部品の製造に携わっていた57歳の時、関連会社に転籍したが、品質に対するクレームが多発し、頭を悩ませることになった。

「対策が不十分だったために、同じことが繰り返し起こっていたんです。にもかかわらず部下の意識は低く、問い質すと反発してきて、職場に険悪な空気が漂うようになりました」

 そんな時、以前から参加するようになっていた誌友会で「環境は心の影、相手は自分の心を映す鏡である」という話を聴いて深く反省した。

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「どうすれば部下と心を通わせることができるだろうかと考えた時、問い質すだけではなく、部下を育てるという意識を持たなければいけないと思い直し、部下の目線に合わせるように心がけたんです。すると『無理です』と反発していた部下の答えが、『難しいです』と少し柔らかくなり、最後は『やってみます』と言うまでに変わっていきました。こちらが変われば相手が変わり、信頼すれば信頼が返ってくるということを学びました」

 60歳で定年退職してからは、70歳まで嘱託で働き、その後、「鋼(はがね)一筋」の会社人間を卒業して、特別養護老人ホームで3年間、清掃の仕事をした。

 一昨年の秋から、Mさんは腰痛がひどくなり、心身ともに伏せってしまうことがあった。

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「夫は自治会長というお役をこなしながら、『大丈夫、必ず良くなる。絶対よくなる‼』と温かく見守り、家事全般を引き受けてくれました。腰を痛めてから、夫のありがたさをいっそう感じるようになりました」と、Mさんは語る。

 Hさんも朗らかに笑いながらこう語った。

「私が仕事で悩んでいたときには、妻に随分助けられました。夫婦は二人で一つですから、これからも二人三脚で信仰に励んでいきたいですね」