4歳の頃、私はトラックに撥ねられる事故に遭いました。幸い頭に少しケガをした程度で済みましたが、事故を機に、母は「このお守りを持っていたら、神様が護ってくれるからね」と生長の家のお守りを持たせてくれました。神様という存在は、幼い私には理解できなかったかもしれませんが、お守りを持つことで守られているという安心感が芽生えました。

 思春期になると人生について悩むことが多くなり、母の勧めで生長の家養心女子学園に入学しました。今思えば、一年間、養心女子学園*1で学んだおかげで、「人間は神の子」という教えが自分の礎(いしずえ)になったと感じています。
*1 生長の家の全寮制の専門学校。現在は休校

 23歳の時、5歳上の夫と見合い結婚しました。夫には異母兄姉が4人いることを結婚前に聞かされましたが、義父が亡くなってからは、誰とも交流していないということでした。それを不思議に思いましたが、夫も同居する義母もそのことにあまり触れなかったので、立ち入ったことは聞かないようにしていました。

 平成元年に長男が生まれて数カ月後のこと、突然、義姉が訪ねて来ました。父親の写真がほしいということでした。その日は義母も夫も不在だったので、義母に電話をかけて相談し、遺影以外の写真を持っていってもらいました。義姉は帰り際に、「私の母はあの人(義母)に追い出されたのです。私は今もあの人を許していません」と言いました。あまりに衝撃的な話に言葉も見つからず、私は呆然(ぼうぜん)としていました。

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 義姉は何故、私にわざわざそんなことを言ったのだろうという思いと、義母に対する不信感で、一気に地獄へ突き落とされたような気分でした。実家の両親に余計な心配をかけたくなかったので、お世話になっていた生長の家の先輩に話を聞いてもらいました。

 先輩は、明るく優しい口調で、「優ちゃん、決してお義母さんのことを嫌いになったらダメよ。あなたは使命があって宮本家に嫁いできたのだから……。お義姉さんの幸せを祈ってあげてね」と言ってくれました。

 その言葉を胸に、私は真剣に神想観*2の実修と聖経*3読誦に励みました。そして、和解の祈りをしている時、ふと「この問題は私の魂の向上のために、お義母さんとお義姉さんが、そのような姿となって私を導いてくれたんだ」という思いが湧き上がり、それは感謝に変わりました。そして義母、義姉それぞれが抱えてきたであろう苦しさに、思いを馳せることができました。
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 生長の家のお経の総称

 それまでの私は愛をいただくばかりの人生でした。でも、これからは愛をいっぱい与えられる私になろうと決意しました。義母は、「あなたと話していると心が明るくなる」と言って、私が自宅で開く母親教室*5に進んで参加し、白鳩会員*5にもなってくれました。
*4 母親のための生長の家の勉強会
*5 生長の家の女性の組織

 長男が生まれた翌年に長女にも恵まれ、母親教室で学んだことを生かしながら楽しく子育てができました。今は長男も長女も結婚し、幸せな家庭を築いています。義母は平成28年に87歳で亡くなるまで、私を信頼してくれました。今は感謝しかありません。義姉とはその後会うことはありませんでしたが、今も幸せを祈っています。

 思いがけないことや困難に思えるような出来事が起こっても、全ては自分を磨くために与えられたものと感謝に変えれば、物事は好転していくことを学ばせていただきました。これからも教えを行じながら、喜びと感謝の心で使命を果たしていきたいと思います。

宮本優子(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会高知教区連合会長。コーラスグループの練習に参加したり、愛犬との散歩の中で小さな自然を見つけたりすることに、喜びを感じている。