中村桂子さん
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長、理学博士。東京大学大学院生物化学科修了。早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。江上不二夫(生化学)、渡辺格(分子生物学)に学ぶ。国立予防衛生研究所を経て、1971年三菱化成生命科学研究所に入り(後に人間・自然研究部長)、日本における「生命科学」創出に関わる。生物を分子の機械と捉え、その構造と機能の解明に終始する生命科学に疑問を持ち、ゲノムを基本に生きものの歴史と関係を読み解く新しい「生命誌」を創出。その構想を「JT生命誌研究館」として実現した。著書は、『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫)、『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)、『生きている不思議を見つめて』(藤原書店)、『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)など多数。
すべての生きものはDNAの入った細胞でできている
──38億年前に地球に生物が誕生して以来の、多種多様な生物の歴史物語を読み取る「生命誌」を提唱され、長く研究を続けてこられたわけですが、生命誌の考え方の特徴は、「『人間は生きものである』という感覚を基本に置くこと」だとおっしゃっていますね。
中村 そうですね。「人間は生きものである」というのは、具体的にどういう意味をもつものなのかについて、現代生物学が明らかにした事実に基づいて描いた「生命誌絵巻」(https://www.brh.co.jp/exhibition_hall/hall/biohistory-emaki/)で説明したいと思います。
ここには4つのことが表現されていて、その1つ目は「多様性」ということです。この扇(おうぎ)の一番上、天にあたるところには、右端にバクテリア、左端にヒトなどさまざまな生きものが描かれています。生物学の教科書には、180万種ほどの生きものに名前が付いているとありますが、最近では、南極の氷の下の湖や水深6千メートルの深海にも、生きものがいることが明らかになっていて、地球上にはおそらく数千万種の生きものがいると考えられます。まさに「多様性」に満ちているのです。
2番目に挙げられるのが、「共通性」です。これほど多様な上、生きものはすべて、DNA(デオキシリボ核酸)を遺伝子としてもつ細胞から成っており、それは祖先が共通であることを意味していると分かってきました。
その祖先がいつ、どこで生まれたのかはまだ分かっていませんが、少なくとも38億年前の海の中には、DNAを遺伝子としてもつ細胞が存在していたことは明らかになっていますので、「生命誌絵巻」の扇の要(かなめ)は、38億年前に存在した祖先細胞です。
生きものに価値の上下は存在しない
──生きものはすべて、DNAを遺伝子としてもつ一つの細胞から生まれてきたということですね。
中村 そうなのです。そして、3つ目は、現存する生きものはすべて、38億年前の祖先から続いている「歴史」を持って、ここに存在しているということです。
アリはアリ、ヒマワリはヒマワリ、キノコはキノコ、イルカはイルカ、ヒトはヒトとして、さまざまな形をし、さまざまな生き方をしているのであって、ここには、ヒトが偉くてほかは下である、といった価値の上下はありません。ですから、以前使われていた、高等生物とか下等生物といった表現は、現在の生物学にはないのです。
「命の尊さ」という言葉には、いろいろな意味が込められていますが、すべての生きものは、38億年という長い時間を経て今ここに存在しているということも、その尊さの一つであると言っていいでしょう。
4つ目は、「生命誌絵巻」の扇の中に人間がいるということです。これは「人間も生きものの一つである」ということを意味しているのですが、多くの方が、人間は扇から出た上にいると思っているのではないでしょうか。
先ほど申し上げた多様性については、皆さんよく「生物多様性」という言葉を使い、「多様性が大事だ」と言います。最近は、SDGs(エスディージーズ)(持続可能な開発目標)という考え方が普及し、「地球に優しくしよう」と言われます。その気持ちはよく分かりますが、「地球に優しくしよう」というのは、「生命誌絵巻」の扇の上に人間を置いたときの態度ではないでしょうか。
そうした“上から目線”ではなく、人間も扇の中にいる多種多様な生きものの一つであり、「私たち生きもの」という“中から目線”で多様性を考えることが、とても大切だと思うのです。
人種差別、ヘイトスピーチなど本来ありえないこと
──地球上の生きものはすべて、38億年前に生まれた一つの細胞から始まったということですが、生きものがいのちの基本的な仕組みを共有している、という具体例を紹介していただけますか。
中村 チョウと人間の例でお話しします。チョウの幼虫は偏食で、例えばシジミチョウの幼虫はカタバミの葉っぱ、ナミアゲハだとミカン科の葉しか食べません。そこで、それらのメスチョウが卵を産むときには、幼虫が食べる葉を探し出して、そこに産まなければなりません。違う葉は食べませんから、卵から産まれても死んでしまいます。
これだけさまざまな葉があり、どれも緑色をしている中で、ナミアゲハのメスチョウは、どの葉がミカンの葉であるかを見極めなければなりません。それを確かめるには、前肢で葉をとんとんと叩きます。ドラミングといいますが、そうやって葉の中の成分を確かめるのです。
メスチョウの前肢には毛が生えていて、葉の成分は毛の先にある4つの細胞に入ります。その細胞は脳とつながっていて、情報を送られた脳で、「ああ、これはミカンの成分だ」と認識するのですね。そうして確かめてから、その葉に卵を産む。そして興味深いことに、メスチョウの前肢の毛にある細胞と、人間の舌にあり、味を感じる味蕾(みらい)*1の構造は同じなのです。
*1 食べ物を口にすると味は、舌や軟口蓋、咽頭の上皮に数多くある味蕾(みらい)で受容される
──いまおっしゃったことに限らず、生きものは同じものを使いながら、それぞれの環境に適応して生きてきたということですね。
中村 その通りです。現れ方は違いますが、全部どこかでつながっているのです。チョウはチョウとして生まれ、ライオンはライオンとして生まれ、驚くほどの多様性があるけれども、その根っ子は、皆つながっているということです。
すべての生きものそれぞれが、それぞれの土地に根付いて多様に変化してきたのですが、一番多様性に富んでいるのが昆虫であり、その次が植物で、両方で地球上の生きものの種の7、8割を占めています。光合成*2をする植物と、送粉(そうふん)*3でそれを支える昆虫が私たちの生を支えているのです。その中で、アフリカから旅をして世界中に散らばった人間ですが、人間は一種です。
*2 緑色植物が光のエネルギーを用いて、二酸化炭素と水から有機物を合成する過程
*3 植物の花粉を運んで受粉を助けること
アフリカ人、中国人、日本人などのゲノム(遺伝子をはじめとする遺伝情報の全体)を調べると、みな同じと分かります。だから人種差別やヘイトスピーチ*4など、本来ありえないことなのです。
*4 人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、健康などについて、個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のこと
まず、「同じ」ということを基本に、一人ひとりを唯一無二の存在として大切にするのが、生きものとしての生き方です。
免疫の安心感はムダがあってこそ得られる
──ご著書『老いを愛(め)づる』には、「生きものはムダが大切」と書かれていました。
中村 現代の社会では、ムダなく効率よく結果を出すことが求められますが、生きものの世界は、一見、ムダのように見えるものが大切という例がたくさんあります。
ここ数年間、私たちは新型コロナウイルスの感染拡大に悩まされてきました。私たちの身体は本来、ウイルスなどが侵入してきた時には、その一つひとつに対応する抗体をつくって健康を維持する能力を持っています。免疫と呼び、抗体づくりに関わる細胞を免疫細胞といいます。
私たちは毎日の行動がすべて決まっているわけではなく、いつ、どこへ行って誰と会い、どんな異物が体に入ってくるか分かりません。それに対応するには、異物が入ってきてから抗体をつくっていたのでは間に合わないので、どんな異物が入ってきても大丈夫なように、予(あらかじ)め免疫細胞を準備します。でも、ほとんどの場合、異物は入ってこないので、準備していた免疫細胞は役に立たないまま消えていきます。
なんてムダなことをするんだろうと言いたくなるかもしれませんが、これだけのムダをして初めて、自然界の中で安全に生きていくことができるのです。
──そうなのですね。
中村 そう考えると、人間が安心して暮らすにはムダが必要なわけで、これは、私たちの生き方にもあてはまるものではないでしょうか。現代社会は、あまりにも効率、効率と言い過ぎて、その結果、ゆとりを失い、かえって暮らしにくくなっているのではないかと思うのです。
本当の豊かさとは、免疫のように安心感を保障してくれるムダがあってこそ得られるものであり、本当に豊かな社会は、赤ちゃんも、年寄りも、病人も、障害を持つ人も、みんなが安心して暮らせて当たり前、それでこそ成り立つものだということを、生きものの世界から学べます。
進歩、科学技術第一が招いた自然離れ
──産業革命以降、人間の社会はある意味で、効率を追求するために科学技術の進歩を遂げてきたとも言えますが、それについてはどう思われますか。
中村 私たちの日常で、誰もがそうした進歩の恩恵にあずかれるようになったのは20世紀後半くらいからでしょうか。1955年に東芝が初めて電気釜を売り出したときに驚いたのは、スイッチを押すだけでご飯が炊けるだけでなく、ご飯が炊けたら自動的にスイッチが切れることでした(笑)。いまでは台所に電子レンジがあるのが当たり前、フードプロセッサーも便利です。
確かに、科学技術によって生活が便利になり、豊かさを感じますが、同時に一つの変化をもたらしました。「自然離れ」であり、たとえばエアコンです。自然は本来、暑かったり寒かったりするものですが、エアコンを使えば、一年中同じ室温の中で暮らせるようになり、生活の中で季節を感じる機会が減っていきました。
さらに、便利な生活を支える産業活動の結果として、自然破壊も起きました。それも、科学技術で解決できると考える方が多いようですが、それは難しいでしょう。そもそも「人間は生きものであり、自然の一部」という事実があるのですから。
21世紀の科学技術は、自然の一部である人間を、完全に「自然離れ」の方向に持っていこうとしていますが、40億年もの生きものの知恵の方が優っていることに気づかなければなりません。科学技術による進歩を第一にする考え方を変えるときが来ていると思います。
──技術の進歩を第一にする社会ではだめだということですね。
中村 技術だけに頼って「進歩は良いことだ」と考えていると、私たちの中にある生きものとしての知恵を失い、生きる力が衰えるだろうと危惧します。技術者は、できることがあればどんどんやってしまうのが習性ですが、行き過ぎた科学論的な価値観は、生きものである人間のありようと合わないのであり、まず人間の生き方をよく考えた上で、それを支える科学技術を進めることを考えなければなりません。
人間は生きものであり、自然の一部である
──さらに地球温暖化が進むことで、不安を抱いている人も多いと思いますが、「生命誌」の観点からアドバイスをいただけますか。
中村 私たちが便利さを求め続け、エネルギーを大量に使い過ぎたために二酸化炭素が増えて温暖化が進みました。そのため、世界中の多くの国々が二酸化炭素の排出量を減らすための政策を打ち出しているわけですが、「人間は生きものであり、自然の一部である」という考え方に立ってライフスタイルを変えていくのが、今後の暮らし方ではないかと思います。
私たち生きものは、炭素化合物でできています。DNAもタンパク質も糖も脂肪もすべて炭素化合物で、それらが体の中で筋肉や酵素、エネルギー源として働いている。体の中でエネルギーを出すときは、呼吸で吸い込んだ酸素と炭素が結合して二酸化炭素になり、吐く息として外に出て行きます。
二酸化炭素を、再び有用な炭素化合物にするのは植物の光合成です。今、人間は二酸化炭素を活用する技術を持っていません。その状況では技術一辺倒の未来を描くのでなく、生きものとして上手に生きる方が賢いのだと思います。
──その上手に生きる道とは、どんなことでしょう?
中村 先ほど言いましたように、私たち生きものは、植物が光合成でつくってくれた炭素化合物を利用するという、自然の循環の中で生かされています。しかし人間は今、そうした循環から大きく外れようとしています。小さな一例が、台所から出るゴミのほとんどは炭素化合物なのですから、本来であればゴミを土に還すのが、自然界での物やエネルギーの循環に則ったものです。土の中では微生物などが炭素化合物を再び利用できる形にしてくれます。しかし私たちは、そのゴミ処理を人任せにし、焼却しています。
ビルを建て、自動車に乗り、コンピュータを使う生活は、文化・文明を持つ人間にしかできない生き方で、それを否定する必要はありませんが、「人間は自然の循環の中で生きてこその生きものだ」ということを忘れて、すべて人工の世界で生きていけると考えるのは傲慢すぎると思います。山と森があり、そこから流れ出す川が海につながっていく中で、私たちは生きているわけですから、山や森、川や海などの自然に支えられて生きている、ということを忘れなければ温暖化は起こらないはずでしょう。
ただ便利さや効率を求めるのではなく、「私たちは自然の中の生きものである」という感覚を忘れずに暮らす─これを基本に、これからの社会をつくっていくことが大切で、私はそれを「私たち生きものの中の私として生きること」と言っています。
「優しい」という字は、「人を憂(うれ)う」と書きます。一人ひとりが、自分のことだけでなく周りのことを心配し、大切にする「優しい」気持ちを持てば、地球は暮らしやすい星になり、それが子どもの時代、孫の時代にまでずっとつながっていくのではないでしょうか。
聞き手/遠藤勝彦(本誌)
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