自宅からほど近くにある四国八十八箇所・第51番札所の石手寺で。「感謝の祈りを続けていると、自分の力を超えた、神の導きを実感するようになりました」

久保満弘(くぼ・みつひろ)さん│64歳│愛媛県松山市
自宅からほど近くにある四国八十八箇所・第51番札所の石手寺で。「感謝の祈りを続けていると、自分の力を超えた、神の導きを実感するようになりました」
取材/原口真吾(本誌)  写真/遠藤昭彦

神想観は神と対話する時間

「毎朝の神想観(*1)は、神と対話する時間」と語る久保満弘さんは、心が迷ったり、何か問題が起きたりしたときは、祈りの中で神に呼びかけて答えをもらっている。
「実は今回の取材も引き受けるべきかどうか悩みましたが、神想観をしていると、〈『新版 栄える生活365章』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)を開きなさい〉という声なき声が聞こえたんです。そして、ふっと開いた216頁に、『あなたは全宇宙に於て、かけがえのない存在なのである』とあり、『あなたの貢献し得る仕事を誰も同じように貢献することはできない』と書かれていました。その言葉に勇気づけられ、私にできることで人のお役に立てるのならと思って、取材を引き受けたんです」

久保さんの一日は、居間に掛けられた「実相軸」に向かい、神想観を実修することから始まる

久保さんの一日は、居間に掛けられた「実相軸」に向かい、神想観を実修することから始まる

 そんな久保さんは、自分のことだけでなく、悩んでいたり元気のない人がいたりすると、神想観中に「宇宙一素晴らしい神の子○○(名前)さま、ありがとうございます」と繰り返し唱え、その人に神が創られたままの完全円満な姿が現れるように祈っている。すると、その人たちが見違えるほど明るくなる経験を何度もしたため、祈りとコトバの創化力(*2)の素晴らしさを実感しているという。

母親に勧められて練成会に参加

 久保さんが生長の家の教えを学び始めたのは平成10年、40歳のときのこと。印刷会社で仕事をしている最中、急にめまいを感じて病院に行くと、脳血栓症と診断された。処方された薬を飲み始めたものの改善しなかったため、休職して治療に専念することになった。

 将来の生活に不安を覚えていたとき、生長の家を信仰する母親の敏江さんから練成会(*3)を勧められ、少しでもよくなるのならと参加した。

「『神が創られた実相(*4)世界は完全円満。病気は心の迷いの影であり、本来存在しない』と教えられ、希望が持てました。また、自分のいのちのルーツである両親に感謝していなかったことを反省しました。ある行事の中で、畳を父母の背中だと思って拭きながら、『お父さん、お母さん、ありがとうございます』と唱えると心がすっきりし、両親への感謝の思いが湧きました」

 するとその後、不思議に脳血栓症の症状が消え、職場に復帰することができた。健康を取り戻してしまうと練成会の感動も薄らぎ、生長の家からも遠のいた。

今こそ信仰を見直すとき

 ところが平成15年、印刷機を運転させながら洗浄作業を行っていたとき、大きな事故に遭った。回転していたローラー部分に右の手袋の指先が引っかかり、そのまま右手が巻き込まれてしまったのだ。

「とっさに緊急停止ボタンを押したんですが、右手の中指の付け根から手の平の真ん中までが裂け、46針を縫う大ケガを負ったんです。入院して治療したものの、傷口が悪化し、医者からこのまま腐ってしまうかもしれないと言われました」

 突きつけられた現実にショックを受け、心がどん底に沈んだとき、「今こそ生長の家の教えに真剣に向き合うときではないか」という思いが浮かんだ。信仰でこの問題を乗り越えようと決意し、病室で神想観を始めた。

「私がいたのは、東向きの大部屋で窓側のベッドでした。早朝、外に向かって神想観をしていると、ほどなくして日が昇ってきて、瞼(まぶた)の裏側がだんだん明るくなっていくのが分かります。光に照らされていると心も明るくなり、善一元なる神様の存在がありありと感じられて、悲観的な気持ちが薄らいでいきました」

 握った形のまま動かなくなってしまった右手に、今まで感謝が足りていなかったことを詫び、心から感謝した。また、動く左手や身の回りにある物、医師や看護師などの支えてくれる人たち、さらには職場の同僚にも感謝しながら神想観をした。

 すると、そうした心を映し出すかのように、病室全体が朗らかな笑い声に満ちたものとなった。そして気がつくと、傷口から新しい皮膚が再生し始め、腹部の皮膚の移植手術も成功して、医者から腐るかもしれないと言われた傷が完治した。

「3カ月の入院生活を終えたとき、職場の上司から『いつ復帰するの?』と声をかけてもらって、もう自分の席はないと思っていたので、本当に感激しました。この体験を通して、『大調和の神示(*5)』に説かれているように、何事においてもまず感謝することが大切で、感謝して神様に祈れば、すべてが上手くいくということを実感しました」

 退院後も神想観が日課となっただけでなく、信徒仲間から「世界が変わって見えるようになる」と勧められ、1日1万回「ありがとうございます」と唱えるようになった。続けるうちに本当に世界の見え方が変わって驚いた。

「以前よりも、太陽がひときわ明るく輝いているように感じられましたし、道端の花は、『美しく咲いている私を見て!』と語りかけてくるよう感じられて愛おしく、足を止めて写真に収めるようになりました」

 それからは神想観の前に、両親やご先祖様はもとより、太陽や月、空気、水など、自然にも感謝の言葉を口にするようになった。

すき間なく文字で埋められた久保さんの『日時計日記』。毎日の書き出しには、燦然と輝く太陽を描いている

すき間なく文字で埋められた久保さんの『日時計日記』。毎日の書き出しには、燦然と輝く太陽を描いている

無我の心で神に祈る

 感謝の気持ちで神想観を続けていた平成21年、51歳の時、神想観中に「私の使命は生長の家愛媛県教化部(*6)に勤め、教えを広めることだ」という思いがひらめいた。早速、教化部長(*7)に相談すると快く承諾してくれ、勤めていた印刷会社の社長も新しい出発を応援してくれた。だが、唯一、妻からは承諾が得られなかったので、久保さんは神想観の中でこう祈った。

「自分が『ああしたい、こうしたい』というのではなく、無我の心になって神様に全托し、『私の天分にかなった、できるだけ多くの人のお役に立てる場所で、使命を果たすことができますように』と祈ったんです。1カ月ほど祈り続けたある日、あれほど反対していた妻が教化部に勤めることを認めてくれるようになりました」

 晴れて愛媛県教化部の職員となり、伝道一筋に励む日々を送るようになった。人生で何が起きても、感謝の言葉を唱え、神想観を通して無心で神様に呼びかけると、良いアイデアが生まれ、神の知恵に導かれるままに行動すれば、どんな難問題からもするりと抜け出すことができると、久保さんは断言する。

「神想観を続けることで、周りの喜びを自分の喜びとする生き方が身に付いてきました。自然も人間も、すべては神のいのちの現れですから、感謝と讃嘆の気持ちをもって祈り、多くの人の幸せのためにお役に立てるよう、神様の導きのままに力を尽くしていきたいと思います」

*1=生長の家独得の座禅的瞑想法
*2=コトバには善きにつけ悪しきにつけ、物事を成就する力があると生長の家では教えている。ここでいうコトバとは、口から発する言葉のほかに、思念や表情も入る
*3=合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*4=神によって創られたままの完全円満なすがた
*5=昭和6年9月、生長の家の創始者・谷口雅春先生に下された言葉
*6=生長の家の布教・伝道の拠点
*7=生長の家の各教区の責任者