私のターニングポイント|父親への感謝を胸に、 市民農園で地域に貢献
幼少期に、ブラジル出張中の父親が内乱の影響で一時消息を絶った。24歳のときに手紙を書いたところ、父親は20年ぶりに日本に帰った。家族が父親を責めるなか、妻から生長の家の教えを伝えられ、父親への感謝を深めることができた。64歳で退職後は自宅の田畑を市民農園として開放し、地域の人たちと共に自然と調和した生き方を実践している。
「いのちの環」の特集記事一覧
No.197(8月号)
特集 | 善業は善果を生む
幼少期に、ブラジル出張中の父親が内乱の影響で一時消息を絶った。24歳のときに手紙を書いたところ、父親は20年ぶりに日本に帰った。家族が父親を責めるなか、妻から生長の家の教えを伝えられ、父親への感謝を深めることができた。64歳で退職後は自宅の田畑を市民農園として開放し、地域の人たちと共に自然と調和した生き方を実践している。
No.196(7月号)
特集 | 心に健康だけを描く
若き日の結核の克服、長女や妻との別れ、そして自身を襲った突然の脳梗塞。過酷な試練に直面しながらも、生長の家の教えと聖資を心の支えに、常に明るい笑顔を忘れず前を向き、社会への感謝の恩返しに励む信仰の軌跡をたどります。
No.193(4月号)
特集 | 日時計主義で生きる
怒りや悲しみ、恐れといったネガティブな感情にとらわれず、太陽が輝く時間のみを刻む日時計のように、人生の喜び、ありがたいこと、感動したことなどの明るい面を思い出し、語り、心に刻む——。そんな日時計主義の生き方を実践することで、幸せな人生が自然と実現していきます。
No.193(4月号)
特集 | 切なる願いは必ず叶う
27歳で肝炎を発症し、長年入退院を繰り返した田中耕三さん。病床で生長の家の教えに出会い、「病本来なし」の真理を支えに、感謝の心で病と向き合い続けました。その後、C型肝炎を克服し、現在は地域貢献に励む田中さんの、希望を捨てない生き方を紹介します。
No.191(2月号)
特集 | あなたは信じる通りのものとなる
結婚、育児、夫の起業。多忙ながらも幸せな日々の中で出会った生長の家の教え。しかし、突然の病と30年連れ添った夫との離婚という試練が訪れます。深い悲しみの中で、著書を通じて自らの心を見つめ直し、真理を実践することで、元夫の家族の幸せまでも祈れるようになった女性の感動の体験談です。
No.190(1月号)
特集 | 明るいコトバで健康は回復する
「人間は神の子、病本来なし」という生長の家の教えを支えに、高校時代に心臓弁膜症を克服した間宮清さんの体験談。妻の死を機に改めて「人間の生命は永遠生き通し」という真理を深く学び、地方講師として活動しながら、霊界の妻と共に信仰の研鑽に励み続ける姿を紹介します。
No.187(10月号)
特集 | そのままの心で
父から伝えられた「生長の家」の教え。人間関係の悩みを乗り越え、自然と調和する生き方を模索する中で、気づいたこととは? 心を素直に開くことで見えてきた、生き方の本質に迫ります。
No.183(6月号)
特集 | 神と先祖からのいのちを生きて
私たちが、今、ここに生きているのは、神様、ご先祖様、父母からいのちを受け継いでいるからです。“いのちの源”であるご先祖様を供養し、感謝の思いを捧げるとき、ご先祖様に導かれて、私たちの人生は、豊かで実りあるものとなるのです。
No.178(1月号)
特集 | 乗り越える力は、すでにある
地元の工業高校機械科に進学し、金型メーカーに就職した。設計部門のトップとして海外にも派遣されるようになったが、帰国後、閑職に追いやられてしまう。そのとき、「人生に無駄なことはない」という生長の家の教えが心に響き、新たな道を切り開くことができた。
No.171(6月号)
特集 | 愛は太陽のように
日系3世としてブラジルで生まれ、29歳のときに自分のルーツである日本に移住した。職場での軋轢に悩んでいたとき、生長の家を信仰する父親のアドバイスを通して、「人間・神の子」の教えに触れ、夫婦で在日ブラジル人を対象にした生長の家のつどいを開くようになった。
No.165(12月号)
特集 | 必ず道は開ける
祖父から続く海運業を受け継ぎ、一時は繁栄したが、時代とともに衰退して岐路に立たされた。そんなとき、先祖供養に励み、練成会に参加して教えの研鑽に励むうちに、「家業を守らなければ」という思いが消え、社員に迷惑をかけることなく、円満に廃業する道が開けた。
No.163(10月号)
特集 | 愛を広げよう
教師を目指して短大に進学したものの、学費を稼ぐためのアルバイトに追われ、徐々に精神的な余裕をなくしてしまった。それでも、物事の明るい面に心を向ける生長の家の「日時計主義」に励まされて卒業することができた。社会人になり、結婚してからもボランティア活動に参加し、地域の役などを積極的に引き受けるようになった。