Q 最近、人に親切にするって難しいなあってよく思います。この前、電車でお年寄りに席を譲ろうとしたら、「立っているからいいです」と言われてしまいました。それ以来、困っていそうな人がいても、声をかけるのにためらってしまうことが多いです。「自分は自己満足で、相手に親切にしていただけなのかもしれない」などと考えたりして落ち込んでいます。どうしたらいいでしょうか?(23歳、女性)
A 自分の内なる声に素直に従うことが大切です
与える愛と受け取る愛
私も同じような体験をしたことがありましたので、お気持ちはよく分かります。相手のためを思ってした行為が受け入れてもらえないと、悲しくなりますよね。知らない人に声をかけるのは勇気がいることであり、あなたがとった行動は素晴らしいと思います。
生長の家創始者・谷口雅春先生は、「受けて感謝、与えて祝福」と説かれています。愛を与える人がいるからこそ、相手もそれを感謝の思いで受け取ることができますし、その反対に、愛を受けて下さる人がいるからこそ、それを与える側も祝福され、喜びを感じることができるのです。
愛を与えることも、それを受け取ることも、どちらも尊い行いです。だから、愛の行いを行動に移せた自分自身を讃嘆して下さい。その行為が相手に受け入れてもらえるか、もらえないかは、神さまにおまかせすればよいのではないかと思います。
愛を与えるチャンス
『生長の家 創刊号〈復刻版〉』(日本教文社刊)には、
その日その日が宗教生活である。
自己を生かすことが宗教生活である。
働くことが宗教生活である。
愛することが宗教生活である。
(47ページ)
とあります。
この言葉について、谷口雅宣・生長の家総裁は『信仰による平和の道』(生長の家刊)の中で、
その日その日が宗教生活である。
自己を生かすことが宗教生活である。
「自己を生かす」といっても、「自己主張する」という意味ではなくて、「自己の中にある神を生かす、仏様を生かす」という意味だろうと思います。
(273~274ページ)
と書かれています。
親切にしたいと思う心はあなたの内なる神の声であり、決して自己満足の思いではないのですから、それを素直に表現していくことが大切です。
私たちはこの人生学校でいろんな経験をし、苦手なことも練習を繰り返す内に上手くなっていきます。私も人に声をかけるのは苦手なのですが、先日、電車でベビーカーの親子に席を譲ったことがありました。私が声をかけると、笑顔でお礼を言って席に座り、楽しそうに二人で話していました。その姿を見て、一日中幸せな気持ちで過ごすことができたのです。
その日その時、一瞬一瞬が愛を与えるチャンスであり、「宗教生活」です。自分の内なる声に従い、あなたの言葉を待っている人たちに、明るく自信を持って声をかけてあげて下さい。そのとき、あなた自身がきっと一番喜んでいると思います。
K.H.
生長の家地方講師
生長の家東京第二教区生教会会長。夫と2人の娘の4人家族。電動アシスト自転車で通勤中に四季折々の草花や水辺に来る野鳥を見つけるのが楽しみ。
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