70代・女性
新聞広告で生長の家を知る

高校を卒業して実家を離れ、京都の和菓子店で働くようになって2年ほど過ぎた頃のことです。ある晩、母が一番下の弟を連れて私のアパートを訪ねて来る夢を見ました。その夢はとても鮮明で、目覚めた後も胸騒ぎが消えませんでした。
すると突然、玄関をノックする音がして電報が届き、母が倒れたことを知らされたのです。
すぐに電車に乗って帰省しましたが、母は脳溢血で意識がないまま、ほどなく息を引き取りました。まだ52歳でした。
母は、まさに良妻賢母を絵に描いたような人でした。父と私たち8人のきょうだいは、いつも母の優しさに包まれて育ったので、母が亡くなると、家の中が一気に寂しくなりました。意気消沈する父の支えになりたいと、和菓子店を辞めて、実家近くで仕事を探しましたが、田舎ではなかなか仕事が見つからず、結局また都会で働くことになりました。

新しい職場で忙しい毎日を送りながらも、「人は何のために生き、何のために死ぬのだろう」といった疑問が湧き、悶々とした日々を送っていました。30歳の頃、趣味で習っていた茶道の先生から「あなたには深い仏縁がある」と言われ、般若心経が入った小さなお守り袋をもらったことが、宗教に興味を持つきっかけになりました。
当時は、職場で腹を立てることも多く、特に仕事熱心でない同僚に不満を感じていました。お守りをもらったのを機に宗教書を読むようになり、自分の心を変えることが大切だと知ったものの、なかなか怒りが抑えきれず、どうすればいいのか分からずにいました。
何かヒントが得られればと思い、さまざまな宗教の講演会にも参加するようになりました。興味のある講演会や宗教の情報は、主に新聞から得ていたのですが、その中で生長の家の書籍『生命の實相』(*1)の広告が目に留まり、興味を惹かれました。
*1 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

その頃、用事があって友人宅を訪ねると、ちょうどその本が本棚に並んでいるのに気づきました。
早速、第1巻を借りて読んでみると、「移り変わる現象の奥に永遠不変の実相(*2)がある」「人間のいのちは永遠である」といった宗教の神髄が分かりやすく説かれていることに驚き、深く感動しました。夢中になって読み進めましたが、しばらくするうちに次第に熱が冷め、元の状態に戻ってしまいました。
*2 神によって創られたままの完全円満なすがた
「神は愛なり」を見て涙が
そんなある日、近所の方から生長の家の講習会に誘われ、思い切って参加してみました。そこで販売されていた聖経『甘露の法雨』(*3)を、ご利益があるかもしれないと思い買って帰り、『白鳩』(*4)の購読も始めました。
*3 生長の家のお経のひとつ。現在、品切れ中
*4 本誌の姉妹誌
それを通して、合宿して生長の家の教えを学ぶ練成会というものがあるのを知り、ぜひ参加したくなりました。仕事を辞める覚悟を決めて、生長の家ゆには練成道場(*5)で開かれる、10日間の一般練成会に参加しました。45歳の時でした。
*5 福岡県太宰府市にある生長の家の施設
2日目の講話で、講師が黒板に「神は愛なり」と大きく書き、その文字を見た瞬間、なぜか涙が止まらなくなりました。続く講話でも、「愛なる神を見つめ続けなさい」と教えられているように感じられ、また涙が溢れました。

大きな感動を胸に練成会から帰宅すると、幸いすぐに新しい仕事が見つかりました。しかし、次第に感動が薄れていき、再び、喜びが感じられない日々になってしまいました。
そこで、金曜日に仕事を終えた後、ゆには練成道場の練成会に参加して講話を聴いたり、神想観(*6)などの行に励んだりして、月曜日の朝に出勤するという生活を続けました。
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法
しかし、道場にいるときは、「神様に守られているから大丈夫」と思えるのに、会社に戻ると、いろんな不満や怒りが募りました。「これではいけない。もっと本腰を入れて教えを学ぶために、また10日間の練成会に参加したい」と思いましたが、まとまった休みがとれなかったため、会社を辞めて、今度は生長の家宇治別格本山(*7)の練成会に参加しようと決めました。
*7 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
心の底の思いに気づく
しかし、練成会に参加した後も、新しい就職先が決まらず、不安に押しつぶされそうになり、泣きながら生長の家の書籍を読む中で、はっと気づいたことがありました。
それは、「父を一人にして結婚もせず、気ままに暮らしている私は親不孝者であり、そんな私が幸せになってはいけない」という、心の底にある自己処罰の観念でした。そして私のこんな思いを知ったら、いつも子どもの幸せを願っている両親は悲しむに違いないと、初めて親の気持ちに思いが至りました。
これからは、生長の家で教えられているように、両親はもとより周囲の人たちに感謝して生きていこうと決意しました。意識して「ありがとうございます」と唱え、聖経(*8)を読誦するなかで、少しずつ心が軽くなっていくのを感じました。
*8 生長の家のお経の総称

時には、完全な実相と自分の不完全な姿を比較して、落ち込むこともありました。しかし「本当に目を向けるべきものは、そのような現象の奥にある完全円満な神の子としての私なのだ」と自分を励まし、感謝誦行(*9)と聖経読誦を続けました。
*9 「ありがとうございます」と感謝の言葉を連続して唱える行
すると次第に、この世界での悩みや苦しみは、曇り空のようなもので、雲が晴れれば青空が現れるように、人間の本当の姿も、観じ続けていれば自然に出てくるのだと思えるようになったのです。すると心が軽くなり、再就職先も無事に決まって、明るい気持ちで日々を過ごせるようになりました。

「ああ、これが神様なんだ」
そんな平成11年、父が84歳の天寿を全全うして亡くなりました。私が52歳、ちょうど母が亡くなった年のことで、不思議な巡り合わせを感じました。母は自分の命と引き替えに私を信仰の道へと向かわせてくれ、父は年を重ねて生きることの意味を、身をもって教えてくれたのだと思ったです。
覚悟はしていたものの、父が亡くなった喪失感は大きく、その穴を埋めるために、その年の5月、生長の家総本山(*10)の練成会に参加しました。終了後も長期生となって、2カ月間、教えの研鑽(けんさん)に努めました。
*10 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
今でも忘れられない出来事があります。それは、長期生になってすぐの献労に参加し、境内地の草取りをしたときのこと。

午後の休憩時間に、ふと息をついて顔を上げると、山並みに切り取られた薄い水色の空が目に映りました。その瞬間、「ああ、これが神様なんだ」と感じ、神様の存在を心から理解することができたような気がしたのです。それは、長い間忘れていた大切なものを思い出したような、何とも言えない感覚でした。
その後も、父を失った寂しさが込み上げてくることがありました。「人間のいのちは永遠である」と学んでいても、やはり肉親との別れは悲しいものでした。しかし、悲しみの中にあっても、その奥にある実相を観じ続ければ、必ず救われると信じて乗り越えることができました。
これからも、父と母が身をもって導いてくれた生長の家の教えを支えに生き、より一層真理の研鑽に励んでいきたいと思っています。





