人間は永遠に生き通しである──これは生長の家の根本的な教えです。つまり、「人間は肉体ではない」ということです。人間の本体は生命(いのち)であり、肉体はその着物のようなものなのです。しかし、そう言われても、多くの人は簡単に納得できないかもしれません。

hidokei_kaisetsu_1

人間の本当の姿とは

 
 博報堂生活総研の2024年の調査によれば、国内の20歳~69歳の男女2,510人のうち、「霊魂を信じない」と答えた人は69.2%でした。  

 そのように回答した人は、人間はいつか死を迎えたら、灰や骨になるだけと考えているのかもしれません。

 確かに、目に見える現象だけを見れば、そのように思うのも無理はありません。しかし、こうした現象というのは「本来ない」のです。仏教では「諸行無常」と言いますが、あらゆる現象は響きや波紋のように、波が現れているときだけ存在する不完全なものであり、根本的には存在しないのです。では何が本当に実在するのでしょうか。

 生長の家では、目に見える現象世界の背後に、善一元の神が創造された完全円満な実相世界があり、人間の本当の姿は、神のあらゆる御徳を備えた神の子であるとして、実相*1のみが実在であると説きます。
*1 神によって創られたままの完全円満なすがた

 その実相は隠れていて見えないため、「私は神を信じない」「神が善であるとは限らない」と考える人もいるかもしれませんが、人間には誰しも良心があり、この良心のうちに思い浮かぶ「最高に善なるもの」を神と呼ぶのです。

hidokei_kaisetsu_2

表現の舞台

 
 では、この現象世界は何なのでしょうか。生長の家では、この現象世界は、私たち神の子が自己を表現する舞台であると説きます。

 神の子は常に神の祝福を受けて幸福であるのが本来の姿です。神は決して人間に不幸を与えませんが、実相を忘れて現象に捉われ、誤った思いによって行き詰まってしまうことがあります。

 その際、一時的に悲しみや苦しみを経験するかもしれませんが、人間は神の子ですから必ず幸福を希求します。それは、実相において既に成就している自分の本当の姿を、現象世界に表現しようとする内なる衝動とも言えます。

hidokei_kaisetsu_3

 心を素直にして認識や表現を改めれば、次第に物事も好転していきます。どのような経験にも、その奥には常に神の祝福があり、それは神を見出す契機にもなります。ですから、一時的な現象の変化に引きずられて、「私はダメな人間だ」「あの人はダメな人間だ」と自他を限定せず、人と物事の明るい面に注目していくことが大切です。

 幸福を実現する過程のなかにこそ生きている実感と喜びがあり、自分の素晴らしさを発揮するほどにそれを味わうことができるのです。

絶対的な価値がある

 
 今はまだ現れていなくても、人は誰しも、その人でなければ現せない「神性・仏性」を宿しています。そのかけがえのない神の子が肉体の死によって消えてしまうことはありません。

 例えば、身近な人が亡くなっても、それは永遠の別れではありません。昔から「袖すり合うも他生の縁」と言われるように、その深いご縁によって、いつか再会できるかもしれません。

hidokei_kaisetsu4

 生長の家では、神は「一即多」であると説きます。神は唯一絶対であると同時に、神の子である私たち一人ひとりの生命も絶対的価値を持っているということです。だからこそ、自らを含むすべての人を尊い神の子として礼拝するのです。

 今生(こんじょう)という一幕は、限りない幸福を実現する一つの過程です。人間は永遠に生き通しの神の子であるということを自覚し、神の無限の愛に生かされていることに感謝して、どんな小さな善行でも良いので、明るい心で力強く実行していきましょう。

………………………………………………………

池田達輝(いけだ・たつあき)