多様な生き方が尊重される中、結婚を選択しない人も増えています。その理由は、「出逢いがない」「経済的に不安」「自由がない」「必要性を感じない」と様々です。女性の社会進出により、選択肢が増えて結婚せずとも自由に生きられるようになったことも、理由の一つと言えるでしょう。

 しかし結婚とは、そのように窮屈に考えて行うものではないのではと、自分の体験から思います。人と人とがめぐり逢い、愛し合うことは、もっと神秘的で素晴らしいものだと私は感じています。

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結婚を願うなかで

 
 私は昨年(2023)4月に結婚しました。若い頃から結婚願望はありましたが、どこか自分には縁遠いことのように捉えていたのです。20歳の頃に生長の家の練成会*1で、「少しも求めず、ただ与えよ」という言葉を知り、これが恋愛で大切なことだと思うようになりました。
*1 合宿して教えを学び、実践するつどい

 月日が経ち、周りの友達が次第に結婚していく中で、自分も結婚を真剣に願うようになりました。しかし当時は、自分を良く見せたいとか、嫌われたくないという思いで、相手に深切にしたり、いい顔をしたりしていました。自分らしくない、心の疲れる人づき合いでした。

 結婚は家と家との結びつきという一面もありますから、「結婚できない自分は、先祖供養や父母への感謝が足りないのだろうか?」と思ったり、不仲な夫婦の話などを聞いて、結婚のネガティブな面に心が向いてしまったりすることもありました。

 やがて、生長の家宇治別格本山*2に勤務するようになり、練成会中心の充実した毎日を過ごすようになりました。そうしたなかで、多くの方との出逢いはあっても、その日のことに夢中で、結婚も後回しになっていたのです。
*2 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある

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自分を許し、認める

 
 その後、30歳を過ぎた頃に新型コロナウイルスの感染が拡大し、練成会が開催できなくなりました。出逢いもなくなり、生活も大きく変わりました。

 静かに自分と向き合うなかで、ふと「自分は結婚したいと思って小手先(こてさき)でもがいているくせに、心の奥では結婚を遠い憧れにしているじゃないか。あれができたら、こうなれたら……と言い訳して、今の自分に結婚を認めていないじゃないか」と気がつきました。そして、「そのまま、今、結婚していいんだよ」と自分自身に許可してあげよう! と思ったのです。相手がいたわけではありませんが、まず自分を許し、認めることにしたのです。

 すると、コロナ禍にもかかわらず、そこから自然な形で、一人の女性と出逢い、お互いに惹(ひ)かれあい、お付き合いをすることになりました。彼女の前では、自分を良く見せようとする必要も、嫌われやしないかと不安になることもありませんでした。いい部分も悪い部分もひっくるめて自分を受け入れ、愛してくれていると感じられたからです。

 その安心感が結婚の決め手となり、彼女の家にご挨拶で伺った際も、手放しに喜んでくださりました。家族や友人にも無条件に喜ばれ、祝福されたなかで結婚式を挙げることができたのです。

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安心と幸福に満たされて

 
 頑張って自分をよく見せようとしているうちは上手くいきませんでしたが、そのままの自分と和解し、幸福になることを許してあげた時、あとは自然に事が運んでいきました。「相手に少しも求めず、ただ与える」ためには、まず自分自身への愛と許しが必要だったのです。結婚してからは、大いなる安心と幸福に満たされています。

 そのままの自分を認め、自らが幸福になることを許してあげましょう。皆様に無限の幸福が訪れますようお祈りしております。

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千羽真平(ちば・しんぺい)
生長の家本部講師補
生長の家宇治別格本山勤務。約7年の不登校と、受験失敗を経て練成会で救われる。昨年4月に結婚し、夫婦二人で新生活を満喫中。