吾々は一切の「はからい心」をふりすて、神に全托して、「背中の荷物」を、すっかり放下しよう。そうして、ただ「有難うございます。日々、嬉しく、楽しく、豊かに、そして健かでございます」と感謝すれば、それ以外のことは、全てよきように整うものである。
(谷口清超著『智慧と愛のメッセージ』61ページ、日本教文社刊)
神に委ねるとき、安らぎと喜びが湧いてきます
神は善であり、全知全能
人生には生老病死の4つの苦悩があると言われますが、これらの苦しみを神に委ねることで、なぜ喜びへと変えられるのでしょうか。そして、日々嬉しく楽しく過ごし、豊かで健やかな人生を、手に入れることができるのでしょうか。
生長の家で説いている“神に委ねる”とは、善なる神に全托する(全てを托す)ということです。唯一絶対の神は、善一元の存在であり、全知全能ですから、その神に心を振り向け、背負っていた問題をすべてお任せするのです。そして、一旦お任せしたら、その後は感謝の生活を送ることで、どのような問題も必ず解決へと導かれていきます。
神に心を振り向ける
神に心を振り向けるには、日々神想観*を実修し、神が創られたままの完全円満なる実相を観じ、生活の中にある光明面を見る生き方を積み重ねていくことが大切です。完全円満な世界を心に思い描き、神の御心(みこころ)に波長を合わせる、そうした祈りを続けることで、神に委ねる心が深まっていきます。
* 生長の家独得の座禅的瞑想法
生長の家では、「人間は本来、完全円満なる神の子」であり、「無限生長の生命を生きる」と説いています。人生には問題に直面したりして苦しいときもありますが、全ては魂の生長につながり、本来の神の子の姿を、無限生長の時間の経過の中に顕し続けるのです。神は善なる存在ですから、私たちを悩ませる問題などはお創りにならず、それらの問題は自分の迷いの心の影であって、本来存在しないのです。
善なる神に全托するとき、迷いが消え、安らぎと喜び、感謝と勇気が湧いてきます。それによって、本来の完全円満な世界が顕れてくるのです。
(目等泰夫・生長の家本部講師)
手記|
工場経営が安定し、夫のがんが癒え、
見えない力の守りを実感する
島 佳子(57歳) 大阪府豊中市
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私は25歳の時に、銀行員の夫と結婚しました。夫は婿養子になってくれ、銀行に勤めながら、土日は父が営む、産業機械用の精密なネジや歯車を製作する町工場を手伝ってくれました。
27歳の時に流産して自分を責めてばかりいた私に、夫は「赤ちゃんは亡くなっても、自分たちの子どもなんだよ」と優しく声を掛けてくれました。夫のその一言に、亡くなった赤ちゃんの存在を認めてもらえた気がして、悲しみから抜け出すことができました。その後、長女を授かり、6年後には長男、続いて次男が誕生しました。
自分の尺度でがんじがらめに
夫に父の仕事を継いでもらいたいと考えていた私は、工場に新しい機械が導入された時に、「お父さん(夫)に使ってもらうんですよ」と言って、夫をその気にさせようとしていました。やがて、夫は工場の機械を使いこなすための勉強を始めるようになり、その後、勤めていた銀行の経営が悪化したため、父の工場で働く決心をしてくれました。
しかし、平成14年頃から工場の仕事が減りはじめ、徐々に資金繰りが厳しくなっていきました。平成22年に父が亡くなった後、会社を引き継いだ夫は、事業拡大のためベトナムに新会社を設立して、安い人件費で製造することを始めました。
あまりにも早く物事が進み、新たな設備投資のため資金繰りが苦しくなったので、私は地道に物作りをする経営に戻してほしいと思っていました。
次男が友人関係に悩み学校に行きたくないと言い始めたのは、そんな時でした。
ちょうど、夫がベトナムに出張していて、すぐに相談することができず、「なんで肝心な時に家にいてくれないの。子どもが学校に行きたくないと言い始めたのは、仕事が忙しくて子どもたちに目が届かない夫のせいかもしれない」と思いました。
私はそんなもやもやとした感情を抱え、夫の前では不満な表情をするようになり、子どもたちに対しても些細なことで神経質に注意をするようになってしまいました。
いま思えば、その頃の私は自分の尺度を夫や子どもたちに押し付けていました。「こんな状態ではいけない」と思っても解決法が分からず、自分の尺度に縛られてがんじがらめの状態だったのです。
「神様に全托よ」
そんな頃、親友に悩みを打ち明けると、「大丈夫だよ」と優しく励ましてくれました。その言葉に安心感が広がったものの、なぜそう言えるのだろうかと不思議でした。さらに「解決のヒントが聞ける生長の家の集まりがあるよ」と誘われましたが、私は新興宗教に対して不信感があったので、そんな話は信じないと思いました。しかしその時は、親友ともっと話をしたかったので、参加することにしたのです。
会場に入った瞬間、うまく説明できないのですが、柔らかくて温かい雰囲気を感じました。生長の家の聖歌を皆で歌うと、きれいな歌詞が心の琴線に触れました。「人間は神の子で、無限の力がある」という教えを初めて聞いた時は、自分にも無限の力があるのだろうかと驚きました。
以来、私は解決の糸口を求めて誌友会*1に参加するようになりました。ある時、講師から「自分が変われば世界が変わる。環境は心の影である」と教えられ、生長の家の教えを学んでいけば変われるかもしれないと感じました。
*1 教えを学ぶつどい
その後、聖使命会員*2となり、神想観*3の実修を続けているうちに、「自分にも無限の知恵と愛がある」と思えるようになっていきました。また、先祖供養や流産児供養の大切さも学び、流産児に名前をつけて供養をしていると、悪いことを考えないようになり、次第に心が軽くなっていったのです。
*2 生長の家の運動に賛同して献資をする会
*3 生長の家独得の座禅的瞑想法
そんな頃、ふと子どもの頃の記憶が甦りました。何もないところから町工場を始めた両親は、自宅を抵当に入れてお金を借り、生活は決して裕福とはいえませんでしたが、母は「お父さんも、お母さんも元気だから、なんとかなるよ」と、いつも明るく楽しく暮らしていたことを思い出しました。
父から工場を託された夫は、資金繰りが厳しい状況でも決して悲観的にならず、最新式の工作機械の導入や、ベトナムでの事業展開に活路を見出し、家族の生活を守るために懸命に働いてくれていました。それなのに、私は夫の些細なことに引っかかり、不満の表情で自分の考えを押し付けようとしていたのです。
講師に相談すると、にっこりとした笑顔で「神様に全托よ」と言われました。無限の知恵、無限の愛、無限の生命である神様に感謝して、すべてを委ねようという気持ちになると、ふっと神様の愛に包まれた気がして、心に温かいものを感じました。
そして、教区の白鳩会*4のお役を引き受け、信徒の皆様のお役に立てるように愛を表現していくなかで次男の問題が解決し、夫への不満もなくなっていきました。工場の仕事は、ベトナムからは撤退しましたが、懸案だった資金繰りも改善していきました。
*4 生長の家の女性の組織
夫の生き方に教えられて
ところが令和元年10月に、夫に大腸がんが見つかりました。しかし、夫は「開腹手術をしないと、がんの詳しい状態は分からない」の一点張りでした。
翌年1月の手術当日、大阪教区の信徒の皆様が手術の無事を祈り、LINEで「必ず成功しますよ」と励ましのメッセージを送ってくれました。私も手術室の外で聖経*5を繰り返し読誦していると、「手術は絶対成功する」という確信が湧いてきました。
*5 生長の家のお経の総称
13時間半に及ぶ大手術が終わり、医師から無事に患部を摘出できたことを伝えられました。目を覚ました夫に「終わったよ」とだけ声をかけましたが、本当は夫の顔を見た瞬間、心の底から嬉しくて、深い安堵に包まれたのです。
実はステージ3から4の大腸がんで、放置していれば1カ月後には全身にがんが転移し、腎不全も起こしていたかもしれなかったと、後日、夫から聞かされました。家族に心配を掛けまいと、夫は詳しい病状を語らず、天にお任せする気持ちだったのです。
しかも、夫の手術の翌週から、新型コロナの影響で病院は手術の体制が取れなくなっていたので、あのタイミングで手術を受けられなかったら、夫は助からなかったかもしれません。
私は夫の生き方から、大らかな気持ちで努力を怠らず、それでいて自然の流れに身を任せることを教えられました。周囲の方々の気づかいに感謝し、ご先祖様のお導き、そして見えない神のお守りによって、生かされているのだと日々実感しています。