〈前篇のあらすじ〉
 30数年前、第2子に恵まれたいと思いながらも、何度か流産した時、友人から生長の家を紹介され、教えを学ぶようになった。しかし、妊娠の兆候はあっても、エコー検査で胎児の姿は確認されず、悲しい思いをしていた。そうするうちに39歳になり、「40歳になる前に、2人目の子どもを産みたい」と強く願っていたある日、再び妊娠の兆候が現れた。だが、産婦人科医から「やはり今回も、同じ状況でしょう」と言われ、不安が拭えなかった。

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 この不安を、生長の家に誘ってくれた友人に電話で打ち明けると、彼女は早速私の家まで来て、相談に乗ってくれました。そればかりでなく、より深い信仰の指導もしてくれるようになったのです。見よう見まねだった私の生長の家の信仰が、本当のものになったのはそれからのことなので、彼女には本当に感謝するばかりです。

 まず教えてもらったのは、生長の家の聖使命会員*1になることです。私自身は当然ですが、妊娠したばかりの赤ちゃんも「神の子」として入会させていただき、さらに主人と長女の入会も薦められました。
*1 生長の家の運動に賛同して献資をする会

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 決して強制ではなく、「こうすることで神様の祝福を得られるのよ」「教えをきちんと学んで実践すれば、あとは神様がすべてちゃんとして下さるから」と説明してくれるので信頼感が湧き、主人に話すと、嬉しいことに抵抗なく受け入れてくれました。こうしてやがて生まれてくる赤ちゃんも合わせ、家族4人揃って入会することができたのです。「これできっと大丈夫!」と、それまで感じたことのない安心感が湧いてきたのを覚えています。

 そして別の日には「先祖供養祭という行事があるのよ」と教えてもらい、霊牌*2供養の仕方もしっかりと教えてもらいました。ご先祖様だけでなく、流産児にもそれぞれ名前を付け、一柱一柱丁寧に霊牌に名前を書いて供養するようになったのはこの時からです。こうしてご先祖様とのつながりを確かめることで、「今生きているのは自分一人だけの力ではない」ということが、ひしひしと感じられるようになりました。
*2 先祖及び物故した親族・縁族の俗名を浄書し、御霊を祀る短冊状の用紙

 「生長の家の本を読んで教えをしっかりと学ぶことも大切よ」と教えられ、最初に『生命の實相*3第1巻と第2巻をプレゼントしてもらいました。読み始めると私が求めていることばかり書いてあり、読むのが止められなくなったほどでした。人間は神の子であり、病気というのは本来無いことや、癒やされるのは薬の力よりも、神様に全托する心の力によるものだということが繰り返し説かれていて、おかげで不安はますます軽くなってきました。
*3 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

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胎児は神が宿し給う

 
 妊娠反応があってから2週間ほど、集中的に生長の家の教えを学んだ後に再び病院に行くことになりました。「まただめだったとしても、がっかりしないように」と言われながらエコー検査を受けると、医師が「今回はちゃんと赤ちゃんの姿が見えますよ!」と言ってくれたのです。私はそれを聞いて嬉しさに舞い上がるような気持ちになり、涙が溢(あふ)れました。

 流産することのないように安静を心がけるように医師から言われ、主人は持ったこともない包丁を持って料理してくれるようになり、娘の遠足の時などは慣れない手つきでお弁当も作ってくれました。母や義母、友人も時折、家事を手伝いに来てくれ、涙が出るほどありがたい思いに満たされました。

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 無事に出産できるだろうかという不安は完全には拭えず、そこで祈りの言葉を紙に書いて、いつも読むようにしました。当時は二段ベッドの上段に娘が寝て、私は下段で寝ていて、上段の下側に「胎内に宿っている胎児は、神が宿し給うたのであるから怖れもなく平和である」と書いた紙を貼り付け、常にそれを読めるようにしたのです。「神が宿し給うたのである」という言葉はとても力強いものでした。それでも不安になった時は、聖経『甘露の法雨』*4を読誦すると、気持ちが落ちつきました。妊娠5カ月目に入ってからは、聖経『甘露の法雨』を心をこめて写経したさらしを帯にして、お腹に巻き、安産を願いました。
*4 生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中

 おかげ様で妊娠期間は何の問題もなく過ごすことができ、出産が近づいて入院することになりました。予定日を過ぎてもなかなか産まれず、さすがに少し不安になって主人に来てもらったところ、顔を見て安心したからか、やがて無事に元気な女の子を出産することができました。

 主人をはじめ、みんな大喜びしてくれ、「この子は幸せを運んできてくれたんだね」と言ってくれたので、名前には「幸」の字を入れました。この子も今は立派に成長して、生長の家の信仰を受け継いでくれています。

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ご恩をお返ししたい

 
 私たち一家は最近まで市街地に暮らして会社勤めなどをしていましたが、主人の定年後、主人の郷里の山里に移って暮らすことにしました。今はご先祖様がずっと守ってくれてきた山で山菜を採って、椎茸を育て、田んぼではお米を作り、畑で野菜を育てています。山菜や椎茸、野菜は生産者として地元の売店に出荷もしています。主人は「ここは宝の山でありがたいね」といつも言っています。

 こうして幸せに暮らせるのは、生長の家の教えのおかげと思う毎日です。そこで私ができるお返しは、悩みがある人がいたら、生長の家の講師のところに連れて行ってあげることだと思うようになりました。

 自分で生長の家の教えを十分に説明するのはまだ難しくてできませんが、親身になって指導して下さる講師の話を聴くと、「気持ちが楽になった」と喜び、なかなか帰りたがらない人もいるほどです。そうした姿を見るたびに、これこそ私の使命なのだと思います。(了)