昭和55年に長男が、その翌年には長女が生まれました。同居する義父母はとても喜び、障害者施設で管理栄養士の仕事をしている私に代わって、子どもたちの面倒を見てくれました。

 長男は小学校2年生から3年生になる春休みに、背中の痛みを訴えました。近くの病院でレントゲンを撮ると、左右の肺の間に卵ほどの大きな影が2つ写っていました。すぐに大きな病院へ行くようにと言われて大学病院で検査を受けると、「縦隔腫瘍」と診断され、目の前が真っ暗になりました。

「縦隔」とは左右の肺の間の空間のことで、この縦隔内の臓器に発生する腫瘍が縦隔腫瘍だと説明を受けました。しかも、骨にまで転移していると告げられたのです。

 まだ3年生の幼い長男ががんに侵されていると聞いて胸が裂けるほど悲しく、どうして自分の子どもにこんなことが……と、やりきれない思いで心が押し潰されそうになりました。職場へ行っても仕事が手につかず、そんな私を見かねた同僚が「生長の家って知ってる?」と声を掛けてくれました。

『白鳩』No.155「匿名手記」_メイン画像

 その言葉を聞いて、生長の家の本は実家にあり、父が読んでいたことを思い出しました。嫁ぎ先のおばあちゃんも生長の家の教えを信仰していたので、私にとっては身近な存在でした。

 同僚から近くに住む地方講師*1を紹介してもらい、先生のお宅を訪ねました。その際に先生から、「人間は神の子であって実相*2は完全円満であり、病気は本来無い」という話を聞きました。さらに、「実相の世界ではすでに治っていますから心配しないで。大丈夫です」と励まして下さいました。溢(あふ)れる涙とともに、大きな不安も流れ去りました。
 *1 教えを居住地で伝えるボランティアの講師
 *2 神によって創られたままの完全円満なすがた

 数日後、先生はわが家を訪れて、仏前で聖経『甘露の法雨*3』を誦(あ)げて先祖供養をして下さいました。そして、「神の子さんに病気はないからね」とその場にいた長男の頭を撫でて、にっこりと微笑みました。先祖供養のやり方を教わり、私も毎日、聖経『甘露の法雨』の読誦を始めました。ご先祖様が守って下さるという安心感で心が満たされ、落ち着いた気持ちで手術を受けることができました。
 *3 生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中

 手術は朝からはじまり、終わったのは夕方でした。長時間に及ぶ手術に耐え抜いて病室へ戻ってきた長男は、身体のいたるところに点滴などの管が刺さっていて、痛々しくて見ていられないほどでした。

抗がん剤治療に望みを託す

 
 手術が無事に終わり、これで良くなると思っていたのですが、医師から転移していることを告げられ、すぐに抗がん剤治療をはじめることになりました。医師は責任を問われるリスクを避けようとしてか、私たちに期待を持たせるようなことは決して言いません。医師から話を聞くたびに、夫と何度も涙しました。でも、少しでも望みがあるならば、そこに懸けてみようと励まし合い、抗がん剤治療に臨みました。

 抗がん剤の治療は、毎月1回、がんセンターに1週間入院して行われました。治療が終わってもそのまま近くの病院へ入院しました。白血球の数値が下がり、免疫力が低くなるほか、副作用のため嘔吐を繰り返し、食事はおろか夜眠ることもできない状態だったのです。病院には私と夫、義母が交代で泊まり込みました。義父は自宅で長女の世話を買って出てくれました。

 長男にはがんであることは話していませんでした。周りの友達のように学校に行けず、なぜ自分は病院にいるのか私に尋ねることがありました。

「お腹の中に大きなおできができたんだよ。腕や足ならお薬を塗れば治るけど、お腹の中のおできは病院でお腹にお薬を入れなければならないの」と話しました。(つづく)