障害を持つ子どもに接して

 
 高校3年生の夏、私は模擬試験を受けるため、会場の予備校に行きました。そこでたまたま話をした同級生は、福祉系の大学を志望して、ボランティア活動にもよく参加していた人でした。「人の役に立ちたい」と、熱を込めて語る彼の姿はとても大きく見え、強く心に残りました。

 バイオテクノロジーを学びたいと思っていた私ですが、彼に触発されて、研究室にこもる科学者になるよりも、人と接する仕事の方が視野が広がり、人間としても成長できるのではないかと思うようになりました。

 その後のセンター試験の結果が振るわず、前期試験で第一志望の大学にも落ちて悩んでいたとき、ふと彼のことを思い出し、突き動かされるように近所にある特別支援学校へ電話し、ボランティアを申し込んだのです。

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 四肢が不自由な子どもたちの手伝いをすることになったのですが、それまで障害を持った子どもと接する機会がなかったので、最初はショックを受けました。ですが、「人の役に立ちたい」という彼が見出したやり甲斐を、自分も感じてみたいという思いが、心を奮い立たせてくれ、前に進むことができました。

 子どもたちの中に、筋力が徐々に衰えていく筋ジストロフィーという難病を患っている12歳の少年がいました。当時、この病気は20歳を迎えるのは難しいと言われていたのですが、彼は底抜けに明るくて、日々の中に嬉しいことや楽しいことを見つけながら生きていたのです。スタッフの方々にも可哀想などという思いは少しもなく、同じ人間同士という接し方をしていたことに、目を開かれる思いがしました。

 大切な何かを掴(つか)むことができたように感じた私は、一年浪人して医療の道へ舵を切る決心をしました。そして、障害のある人や障害の発生が予測される人に対し、運動療法や物理療法などを用いて自立や予防の支援を行う、理学療法士を目指すことにしたのです。

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幸せとは何だろう?

 
 翌春、無事医療系の大学に合格し、理学療法士の資格を取得して卒業しました。ありがたいことに、大学時代にボランティアで訪れていた病院から声がかかり、そこで数年間お世話になりました。

 その後、大学の教員を経て、個人宅で支援を行う仕事に転職すると、年配の方々が主な利用者になりました。そこは、人生の総決算とも言える、最期をどう締めくくるかという、誰もが直面する課題を否応なしに突きつけられる場所でした。

 ある人は生活保護を受けていて、決して豊かな暮らしではなかったのですが、息子さんや近所の方が頻繁に訪れ、常に人に囲まれていました。感謝の言葉を多く言い、いつも人のことを考えているその人のベッドの脇には、笑顔で20人もの家族と一緒に写った写真が飾られていて。最期も安らかなものでした。

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 また別の人は、元不動産会社の経営者でした。リーマンショックを受けて倒産したのですが、新たに会社を起こす際には、前の会社の従業員が全員集まったというほど、人望の厚い方でした。ただ、その型にはまらない性格から、次男さんと仲違(なかたが)いしてしまったと、会うたびに話していました。しかし、年を重ねるごとに丸くなり、最後は次男さんと和解して旅立っていったのです。

 2人とも我がなく本当に穏やかな性格で、私の目には仏様のように見えました。かと思うと、同じく不動産会社を経営していたある人は、暴飲暴食で若い頃に体を壊し、多額のお金をかけて腎臓を移植したものの、それでも透析が必要な状態になっていました。誰に対しても命令口調で、奥さんともケンカばかりされていて、その最期も決して穏やかとは言えないものでした。

 そうした人たちの姿を目の当たりにするたびに、幸せとは何だろう?良い生き方とはなんだろうか?と考えるようになり、次第に家庭を持つことへの憧れが強くなっていきました。

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コトバには力がある

 
 30代後半から婚活を始め、パーティーにも何度か出席したのですが、年齢や収入で品定めされるようなところもあって、なかなか上手くいきませんでした。次第に結婚は難しいかもしれないという諦めの方が勝り始め、せめて良い仲間に囲まれた生き方をしたいと思うようになりました。

 そんなとき、母親から生長の家の教化部*1に行くことを勧められ、そこで行われていた練成会*2に何気なく参加しました。生長の家のことは何も知らなかったのですが、人の美点を探して褒めることや、いつも心を明るい方に向ける日時計主義の生き方を説く講話を聞いて心が軽くなりました。「この教えをもっと学んでみたい」と思い、それからは誌友会*3に参加するようになりました。
*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
*3 教えを学ぶつどい

 仕事柄、利用者の自宅まで運転する時間が長いので、車内では生長の家の講話テープを聴きました。すると、病気は実在するものではなく、迷いの心がつくり出した仮の姿であることや、小麦粉を練って小さく丸めたものでも、薬だと信じて飲めば治ってしまうように、心の持ち方が大切であるといったことを教えられ、惹かれるものを感じました。

 ちょうどその頃抱えていた利用者に、脳梗塞の後遺症で精神が不安定になり、向精神薬への依存がとても強い方がいました。そこで家族に了承を得た上で、「これはとても強い薬だけど、特別に処方してあげるから」と言ってラムネを飲んでもらうと、本当に状態が落ち着いたのです。

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 今でも家族の方は、「あの先生が処方してくれた薬だよ」と言ってラムネを渡しており、家族間のコミュニケーションにも一役買っていると聞いて嬉しく思っています。

 また、生長の家で口から発する言葉と心に思っていること、表情の3つをまとめて「コトバ」と言い、コトバには物事を実現する力があると学び、それを仕事に生かしました。

 ある寝たきりの人は、筋力が低下しているため、医師から歩行は不可能だと診断されていました。しかし、私がその人の体に直に触れ、足で押し返す力などを確認すると、どうも医師の判断とは違う感じがするのです。自分の直感を信じ、「これだけの力があれば、十分歩けますよ」と、その人と家族に力強く言ってリハビリを行うと、ほどなくして本当に歩くことができるようになりました。

 この時ほどコトバの力のすばらしさを実感したことはありません。常に美点を探し、コトバに表現してくれる人が一人でもいれば、人の環境は劇的に変わり、幸せな人生が実現していくのだと分かったのです。

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利用者との心の交流を通して

 
 生長の家の教えに触れた翌年、初詣の時に、なぜか「今年きっと結婚できる」という確信が湧きました。そしてその年、結婚相談所を介して知り合ったのが、今の妻です。飾らない人というのが最初の印象で、出会う方すべてを幸せにしたいと腹の底から出た私の言葉が、彼女の心に刺さったようで、彼女も同調してくれたのでした。

 9月に出会って12月に入籍し、年内の結婚が叶いました。3歳の愛娘とともに、いつも笑顔で応援してくれる素晴らしい妻です。
 これからも、利用者との心の交流を通して、その人にとっての幸せを、そして背中を押してあげられる“コトバ”を探しながら仕事に励みたいと思っています。