人間関係に悩んでいた大学生の彩花さんが、ある日、知り合いの生長の家の講師に、自分の悩みを相談したところ、『日時計24』を送ってもらった。それをきっかけに、2人の間でチャットがはじまった……。彩花さんの大学の友人である茜さんの弟で、生長の家の教えを学んでいる洋介くんですが、何か疑問に思っていることがあるようです。
昨日、学校で地域の清掃活動に参加したんですけど、思った以上にごみが多くてびっくりしたんです。それで、ふと思い出したんですが、僕がまだ小さかった頃、道端にごみを捨てたりすると、おばあちゃんから「そんなことをすると、罰が当たるよ」って言われたなって。だけど、悪いことをすると「罰が当たる」って言うのは本当なんですか?
僕も小さい頃に、よく「罰が当たるから、やめなさい」って叱られたことがあったなあ。「天罰が下る」なんて言い方もあるけど、それは天が罰を下すように見えても、じつは自分の心がそれを引き起こしているということもあって、「罰を与える神様」がいるわけでは決してないと生長の家では考えるんだ。
えっ、それってどういうことですか?
観音様って聞いたことがあると思うけど、仏教的に言えば観世音菩薩の教えというのがあるんだよね。例えば、何か悪いことが起こると、多くの人はきっと落ち込んでしまうけど、あとで振り返って考えてみれば、その出来事を通して何か大切なことを学び、人生が良い方向に向かっていったとか、生き方が変わるきっかけになったということもあるでしょう。
つまり、その人の心の状態に合わせた様々な姿となって現れながら、幸福へと導くのが観世音菩薩だけど、生長の家では、それは私たちの心の内にある「内部神性」のことだと教えているんだよ。「罰が当たった」ように思えることがあるとすると、それは自分が間違った方向に進んでいることを、私たちの内なる本性が教えてくれているということなんだ。
自分の心の中に、そういう働きがあるということですか?
そう。自分の外に観世音菩薩がいるのではなくて、自分の内なる心の働きということなんだ。この世界には、心の思いが展開するという「心の法則」があることは前にも話したよね。この心の法則によって、自分の心に応じた色々な姿が現れてきて、様々なことを教えてくれているということなんだよね。
また、人間には本来、「良くなりたい」という「良心」があるけれど、その良心に逆らって自らを不幸にしてしまう行動を、無意識のうちにしてしまう場合もあって、それを心理学では「自己処罰」と呼んでいるんだよね。つまり、外から罰を与えられるのではなく、自分で自分に罰を与えるような辛い経験を通して、自分の「良心」に気づかされるんだよ。
心のなかに観音様がいるなんて、驚きました。やっぱり、自分の良心に従うことが大切なんですね。
(次号に続く)