人間関係に悩んでいた大学生の彩花さんが、ある日、知り合いの生長の家の講師に、自分の悩みを相談したところ、『日時計24』を送ってもらった。それをきっかけに、二人の間でチャットがはじまった……。
彩花さんの友人である茜さんの弟で、最近生長の家の教えを学び始めた洋介君ですが、なにか疑問に思っていることがあるようです。
この前、生長の家の集まりで「観の転換が大切」というお話を聴いたんですが、正直難しくて意味がよく分からなかったんです。それに、生長の家の観の転換は「360度転回」だと……。
確かに「観の転換」と言われても、何のことだろうと疑問に思ってしまうかもしれないね。「観」というのは「物事の本質を捉える」という意味があって、生長の家が説いている「観の転換」は、「物事の実相(本当に在るもの)を観る」ということなんだ。
生長の家では「現象は本来ない。実相のみが在る」と説いているという話は、洋介君も聴いたことがあるかもしれないけど、たとえば人間の実相を観るという場合には、「人間の本質は肉体ではない。完全円満な神の子だ」と自覚することで、それを生長の家では「360度転回」と言っているんだよ。
とても難しい話なので、すぐには理解できないかもしれないけど、すごく大切なことだよ。
でも、そもそも考え方を「180度」転回するというのなら分かるんですが、「360度」転回すると元の場所に戻っちゃうから、意味がないような気がするんですが……。
洋介君の疑問は最もだよ(笑)。だけど、180度の転回だと、たとえば前を向いていた人が後ろ向きになるわけで、目の前のものから目をそむけて、ただ逃避するという意味にもとれるよね。
360度転回だと、一回転して元の場所に戻ってくるだけのように思えるけれど、物事に対する観方が一変し、「いま自分がいるこの世界が、完全円満な実相世界なんだ」という自覚に変わっているということなんだよ。
よく「コペルニクス的転回」という言葉を聞きますけど、それと同じように、自分の心が大きく変わっているってことなんですね。
そうだね。天文学者のコペルニクスが、それまでの通説だった天動説を覆して、「地球が自転しながら太陽の周りを回っている」という地動説を唱えたように、それまでの発想や考え方が根本的に変わることを「コペルニクス的転回」というよね。
「パラダイム・シフト」という言い方もあって、パラダイムとは「その時代に当然のことだと思われていた考え方や見方の枠組み」のことで、それが移動(シフト)する、劇的に変わることだよね。
キリストは「神の国は今此処にあり」と言ったけど、これもまさに「パラダイム・シフト」と言っていいよね。
(次号に続く)