田口輝美(55歳)
熊本県益城町
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長男は中学2年生のとき、不登校になりました。きっかけになったのは、ハンドボール部の顧問が規律を守らせるために、長男を同級生の前で見せしめのように怒鳴るようになったことでした。長男は家では夫や義母に反抗するようになり、部活動にも行かなくなりました。
当時の私は、長男のつらい気持ちに寄り添おうともせず、「チームのエースなんだから、しっかりしなさい」と言っていたのです。それは、長男に高校のスポーツ特待生になってほしいという願いもあったからですが、そんな親の期待が長男を苦しませていたのだと思います。
実はその2年前に、実家の父の介護が必要になり、さらに父が経営していた工務店の経営不振から実家が競売に掛けられました。夫が実家の負債を肩代わりしてくれたのですが、その返済のため、わが家の家計が苦しかったのです。
やがて長男は家出を繰り返し、不良グループの子たちと深夜まで遊ぶようになりました。そんなある日、長男は自宅の3階のテラスからぼんやりと外を眺めていました。私はふと長男が飛び降りるのではと思い、慌てて声を掛けました。長男は「ただ外の景色を見ていただけ」と言いましたが、心配でなりませんでした。私はそんな長男をなんとかしたくて、生長の家の座禅的瞑想法である神想観を実修するようになりました。
父母への感謝の大切さ
私が生長の家の教えに触れたのは、子育てが忙しくなった30歳の時でした。叔母から「子育てに良いから」と生長の家の月刊誌をもらったのです。その後、母親教室*1にも誘われ、初めて聖経『甘露の法雨』を読んだときには、大切なものがここにあると感じました。
『甘露の法雨』*2に収められている「大調和の神示」*3には、「神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」「本当の和解は互いに怺(こら)え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ」と書かれていて驚きました。年下の夫と結婚する際に義父母から反対され、私はわだかまりを抱えていましたが、同居生活では素直な嫁を演じて、心に蓋をしていたのです。
*1 母親のための生長の家の勉強会
*2 生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中
*3 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉
義父母への感謝の大切さを学んでいたのに、実際には夫や義父母に断りを入れず、自分本位に決めて生長の家の行事に参加していました。そんな頃に長男の問題が起きたのです。
長男を神様にお任せする
生長の家では「人間は善なる神の生命を宿した神の子であり、本当の姿は完全円満である」と教わりました。神想観を実修する中で、瞼(まぶた)の裏に長男の本当の善なる姿を思い描き、「実相円満完全」*4と祈っていると、神様から頂いた素晴らしい生命が長男に宿っているという信念が深まり、愛おしさが込み上げてくるのを感じました。
*4 神によって創られたままの完全円満なすがた
そして、長男にスポーツ特待生になってほしいという思いは、私の「我(が)の願い」であったことに気づき、長男に「嫌なら学校に行かなくてもいいよ」と言えるようになりました。
しかし、長男は一度家出をすると2週間くらい帰ってきませんでした。私は父の介護があり、すぐに探すことができませんでした。でも、保護司や知人からコンビニなどでの目撃情報があれば、夫と一緒に駆けつけ、「ただ買い物に来ただけだから」と平静を装って、長男の無事な姿を確認しました。会えなかった時は、そこにあった長男の自転車のカゴに「あなたが元気ならそれでいいです」といった手紙を残しました。時には警察に補導された長男を迎えに行くこともあり、苦しい時期が2カ月ほど続きました。
それでも、「父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と学んでいたので、「父の介護をすることで、きっと神様の御心に適(かな)うはず。そんな私の願いが神様に届けば、長男はきっと神の子としての自分の道を歩いてくれる」と自分に言いきかせました。私は目を離しても心は離さずに、長男には「いつも気にかけているよ」という思いを送りながら、あとは善一元の神様にお任せして、問題として掴まないようにしました。
長男が言ってくれた「ありがとう」
その後、私は家に戻った長男に「そろそろ家出も飽きてきたでしょう」と声を掛けたことがありました。すると次第に長男は家出の回数が減っていき、不良グループの友達を家に呼ぶようになりました。私は家がその子たちのたまり場にならないように気をつけながら、食事を出してあげたり、夜になったら家に帰したりするようにしました。
中学3年になったある日、不良グループの1人が「高校に進学する」と言い出し、長男も不登校をやめました。その後、長男は建築を学びたいという意欲を見せるようになり、高校は建築科のある定時制高校に進学し、日中は内装工務店で働き始めました。
そんなある日、長男にどんな言葉が好きかと尋ねると、「『ありがとう』という言葉が好き」と教えてくれました。その言葉を聞いた瞬間、長男は本当は「お父さん、お母さん、ありがとう」と言いたかったのではないかと感じました。そして、もう長男は大丈夫だと確信しました。
長男は高校卒業後、お世話になっていた内装工務店に就職し、今では独立して頑張っています。長女も次女も進学費用をアルバイトで捻出し、現在は社会人として働いています。
その後、驚いたことに実家の土地の一部が行政の土地区画整理事業の対象地区になり、一般的な相場よりも良い条件で買い取ってもらえることになって、夫が肩代わりしてくれた負債はすべて返済することができました。
これまでお金に余裕がなく、子どもたちに申し訳ないと思っていましたが、子どもたちから「あの頃のお父さんとお母さんは、頑張っていたからね」と言ってもらえたことがとても嬉しく感じました。
冬に朝顔を咲かせようとしても咲きませんが、暖かい時期になれば自然と芽が出て花が開くように、子どもを温かく見守っていれば、自然に問題も解決していきます。時には何気ない言葉で子どもを傷つけてしまうことがあるかもしれませんが、神の子として信じ、愛を表現すれば神様がきっと良い方向に導いて下さるのだと思います。