一人で仕事を抱え込んで

 
 現在勤めている会社で、長らく製品開発部門に所属していた私は、平成15年、突然辞令が出て係長から課長に昇進しました。1、2年の準備期間を経て課長になるのが通例なので、業務の進め方や部下との対し方などについてよく分からないまま放り出されたように感じて、強い不安を覚えました。

 私は子どもの頃に母から厳しく育てられたせいか、何事も「これをしたら、これを言ったら怒られるのではないか?」と母の顔色をうかがうようになってしまい、自分の考えを率直に人に伝えられない性格になっていました。

 そんな性格が災いし、「こんなことを言ったらどう思うだろうか」などとあれこれ考え過ぎて、満足に部下に対して指示を出すことができず、自分で何とかしなければと、一人で仕事を抱え込むようになりました。

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 上司から仕事を命じられると、責任感から「大丈夫です」と答えてしまうのですが、当然一人では手が回らず、そのうち頭も回らなくなって、結局は満足のいく結果を出せない自分を責めました。

 次第に精神状態がおかしいと気づき始めたのですが、そうなっても、現状から逃げたいだけの甘えではないかと自分をとがめていたのです。そんな状態を続けているうちに、数カ月後には精神的な限界を超えて休職することになってしまいました。

 家で静養していたある日、私のことを聞いた妻の母から、「生長の家の教化部*1に行って相談してみたら」と勧められました。義母が勧める生長の家というのは新興宗教だと知って少し身構えたものの、義母はごく普通の人だったのでそう悪いものではないのだろうと思い直し、教化部に相談に行きました。
*1 生長の家の布教・伝道の拠点

 そこで誌友会*2に参加するよう勧められましたが、会場が自宅から遠かったため断念し、そこに出講している地方講師*3のお宅が近所にあると知ってその方を訪ねました。
*2 教えを学ぶつどい
*3 教えを居住地で伝えるボランティアの講師

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一度起ち上がるも八方塞がりに

 
 その講師から、初めて「人間は神の子であり、本来完全円満な存在である」という話を聴きました。もともと私は、人間の魂は完全なもので、さまざまな経験をするためにこの世に生まれてくるという人生観を持っていたため、その話を聴いて、「やはりそうなんだ」と、自分の考え方と答え合わせができたような嬉しさを感じました。

 さらに「神の子には、どんな困難も乗り越えられる力が内在しているから大丈夫。取越苦労をする必要はありません」と励まされ、明るい気持ちで帰宅しました。

 すると会社から「管理業務の負荷を減らそう」と言われたため、急に気が楽になって仕事に復帰することができ、前と同じように働くようになりました。

 それからは地方講師の家を訪ねることもなくなりましたが、その方から勧められた『生命の實相*4』第7巻「生活篇」を繰り返し読むようになりました。「人間には無限の力がある」といったことが分かりやすく説かれていて、力強い言葉で諭すように書かれた内容に深く感動し、どのページも引いた赤線でいっぱいになりました。
*4 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻

 そして、平成22年に再び本来の業務として課の運営を任されましたが、今度は準備期間もあったことから、前ほど慌てることはなく課長としての業務をなんとかこなすことができました。

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 しかし平成27年頃から、大小合わせて3つのプロジェクトを抱えることになってしまいました。このときも人の顔色をうかがう悪い癖が出て、上司からプロジェクトの見通しを尋ねられた時、それほど確信があったわけでもないのに「大丈夫です」と答えてしまったのです。

 以前と違ってその頃は、部下にある程度の指示を出すことはできるようになってはいたものの、負担をかけすぎてはいけないと、やはり自分で仕事を抱え込むようになりました。最終バスぎりぎりの時間まで残業するだけでは終わらず、家に持ち帰って深夜2時、3時まで仕事をすることもありました。

 こうして必死で努力し、どうにかすべてのプロジェクトを達成することができてほっとしたのも束の間、さらに大きな仕事を任されました。優秀な若手社員と共に、今までにない製品の開発に取り組んでほしいと言われたのです。

 具体性のない指示に困惑しながら、なんとかアイデアを捻り出しましたが、開発研究と実際に製品を作る工場のトップ、両者の合意が得られず、板挟み状態になってしまいました。何より心配だったのは、このプロジェクトが失敗したら、有望な若手社員の経歴に傷がついてしまうことでした。それが重くのしかかり、またしても仕事が遅れ始め、にっちもさっちもいかなくなってしまったのです。

 困り果てて上司に相談すると「別の人に仕事を振ろうか」と言ってくれたのですが、それでは、私が仕事をその人に押し付けることになって迷惑がかかると思い悩み、満足に仕事ができない自分を責める毎日でした。

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教えは実践の中で深まる

 
 そんなとき妻から、「もう一度生長の家に行って相談してみたら?」と勧められました。以前には行かなかった誌友会に参加すると、参加者の皆さんは明るい人ばかりで、その雰囲気に触れただけで救われる思いがしました。また、「笑いの練習*5」をしたとき、最初はびっくりしましたが、形だけでも笑顔を作っていると、不思議に心も晴れやかになり、仕事もうまくできそうな気になりました。
*5 笑うことによって、心を明るくし、心身を健康にするために行う練習

 ところが、いざ職場に戻るとそんな気持ちは吹き飛んでしまい、再び不安でいっぱいになってしまうのです。これではいけないと、翌月の誌友会に参加して少し気を取り直し、すぐにまた不安になるといったことを繰り返していました。

 教化部の見真会*6に参加したのは、そんなときでした。そこで参加者による体験談を聞くと、お子さんが難病を患っていたり、親戚に大きな不幸があるなどの大変な経験をしたりしながらも、皆さんが生長の家の教えによって明るく生きている姿を見て感動しました。
*6 教えを学ぶつどい

 そして、そのとき気づいたのは、生長の家の教えを学べば自然に悩みも解決し、幸せな人生になっていくものだと思っていたのは間違いで、教えを頭で理解するだけではなく、生活の中で実践しなければ運命は変えられないということでした。

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 それから毎晩、神想観*7を実修し、神の子としての自分の完全円満な姿を観じるように努めました。最初のうちは悩みや不安を払拭できず、振り回されていましたが、続けているうちに少し高いところから自分を見下ろすような感じになり、神の子である自分そのものと、悩みや不安などの思考や感情を切り離せるようになっていき、神想観にも集中できるようになったのです。
*7 生長の家独得の座禅的瞑想法

 そのおかげか、ひどく落ち込むこともなくなり、いつもフラットな気持ちで仕事に臨むことができるようになっていきました。すると、任されていたプロジェクトそのものに問題があったことが判明して中止となり、一番の気がかりだった若手社員の経歴には傷がつかずに済みました。

 その後に命じられた新しいプロジェクトでは、部下や他部門との連携もスムーズにいき、仕事も順調に進んで、無事成功させることができたのです。

 今は、悩みの種だった考えすぎてしまう性格も、「それは細かいところに気を使うことができるいい性格なんだ」とプラスに考えられるようになり、喜びとやりがいを感じて仕事に励んでいます。