生長の家で感謝の大切さを学んだが、小言の多い義母に感謝できない自分を責めていた。
そんな義母が認知症となり、義母に感謝できる自分になりたいと同居を始め、
夫婦で介護するなかで、本当の母娘になれたと実感することができた。
さらに、次男がてんかん発作を克服したことも、信仰を深めるきっかけとなった。

夫の金良(かねよし)さんと薪ストーブの置かれた自宅で

夫の金良(かねよし)さんと薪ストーブの置かれた自宅で

中根八千代
66歳・ 愛知県豊田市

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 私と義母の関係は、結婚当初からあまり良好ではありませんでした。結婚と同時に義祖父母、義父母、義弟との同居が始まり、2人の男の子にも恵まれましたが、義母は家事を全くしない人だったので、子育てと保育士の仕事を両立しながら、私がすることになりました。

 義母から気に入らないことがあるたびに小言を言われる日々で、そのような生活が続くうちに、義母に対する不満や不安が、黒い澱となって心の底に溜まっていきました。

 そんな時、実家の母が持たせてくれた生長の家のお経の聖経『甘露の法雨』を開くと、冒頭にある「大調和の神示*1」が目に入りました。
*1 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉

 「怺(こら)えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する」

 この一節を見たとき、我慢するばかりで義母に感謝ができていなかった自分を責め、苦しくなりました。

「次男のおかげで家族が信仰に導かれて、家族みんなで生長の家の教えについて語り合えるようになったことが何よりも嬉しくて、本当に幸せです」

「次男のおかげで家族が信仰に導かれて、家族みんなで生長の家の教えについて語り合えるようになったことが何よりも嬉しくて、本当に幸せです」

 やがて義父母と義弟は、近くの団地で暮らすようになりました。その頃には義祖父母は他界し、息子たちも独立していたので、結婚以来初めて夫と2人で暮らすことになりました。ところが、平成29年に義父が亡くなり、その2年後には義弟が持病の悪化で入院することになり、義母は独り暮らしになってしまったのです。

 夫と2人きりで気兼ねなく暮らせることに幸せを感じていた私は、義母が独り暮らしになってからは、心がざわつき、「お義母さんに心から感謝してる?」と内なる声が聞こえてくるようになりました。結婚当初から抱いていた義母の言動に対する違和感と不満な気持ちを、心の奥底にしまったままにしていたので、「大調和の神示」を読むたびに感謝ができていない自分を責めていたのです。

 義母は独りで暮らすようになってから少しずつ認知症が進行し、たまに様子を見に行くと、部屋の中は乱れ、食べ残しが放置されているような状態になっていました。

 「このままではいけない、この機会を逃したらきっと後悔する。お義母さんに心から感謝できるようになりたい」と思い、夫に「お義母さんとまたこの家で暮らそう」と提案しました。その時の夫の笑顔は今も忘れられません。そして令和2年の秋から、再び義母との同居が始まりました。

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 また一緒に暮らし始めると、当初はそれまで溜め込んできた義母への思いを口にしてしまうことが、度々ありました。そのたびに義母は「あの頃の私はそんな感じだったね。そんなふうに言ったこともあったね」と当時のことを悔やむように言ってくれて、私の心に溜まっていた黒い澱は少しずつ消えていきました。

 また毎朝起床すると、まず『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)に、義母や夫、周囲の方々への感謝の言葉を書き、その後、生長の家独得の座禅的瞑想法の神想観を行じながら、繰り返し感謝を念じていると、義母に対する感謝の思いが深まっていきました。

 次第に義母のお世話も楽に感じられるようになり、やっと本当の母娘になれた気がしました。義母は要介護3になり、体の自由がきかなくなってきていますが、夫婦で介護をしながら、「やっぱり一緒に暮らしてよかったね」と、夫と喜びを分かち合っています。

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突然のてんかん発症

 
 私の魂を磨いてくれたもう一つの出来事が、次男のてんかん発症でした。

 始まりは平成7年の、とても寒い冬の夜のことでした。当時、小学校6年生だった次男が家の廊下で倒れ、全身のけいれんを起こしたのです。慌てて病院に連れていくと、てんかんを発症していると告げられました。次男はこの先、この病を背負って生きていくのかと思うと、絶望で目の前が真っ暗になったのを覚えています。

 いつ起こるか分からない次男のてんかん発作に怯えながら暮らす日々が、何カ月か続きましたが、ある日、一本の電話がかかってきました。それは、地元の生長の家の講師である佐藤民子さん(故人)からの母親教室*2へのお誘いでした。心に余裕がなく、最初は参加をためらいましたが、熱心に誘われ、実家の母と一緒に参加しました。
*2 母親のための生長の家の勉強会

 母親教室で次男のことを話すと、佐藤講師は「ここで話せたから、問題は半分消えたね」と言ってくれ、その言葉は私の心に染みわたり、一筋の光明が見えた思いがしました。そして、次男の病気を治すために、真剣に教えを勉強しようと決心しました。

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 それからは毎月、母親教室に参加し、講師の方々がお勧めして下さったことを必死に行う日々でした。毎朝聖経『甘露の法雨』を読誦し、先祖供養の霊牌*3や神癒祈願*4を毎月出し、時間を見つけては『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻)などの生長の家の書籍を懸命に読みました。
*3 先祖及び物故した親族・縁族の俗名を浄書し、御霊を祀る短冊状の用紙
*4 神の癒しによって、問題が解決するように祈ってもらうこと

 また、「神の子である人間の実相*5は円満完全で、病は本来無い」という生長の家の教えが書かれている『甘露の法雨』の「人間」の項を紙に書き写して部屋に貼り、繰り返し唱えました。
*5 神によって創られたままの完全円満なすがた

 その甲斐あってか、専門病院で処方された薬を飲むようになってから次男のてんかんはぴたりと治まり、中学入学後は学級委員や生徒会長を務めるまでになりました。

大きく成長した次男

 
 立派に成長した次男の姿に安心したのもつかの間、高校1年生の秋、ホームルームの時間に次男は発作を起こして倒れました。医師から「薬が効かなくなってきています」と言われ、それからは2週間に一度の頻度で発症して倒れるようになってしまったのです。

 次男は「病気だから、努力してもどうせ報われない」と言って、どんどん暗くなっていきました。ですが、次男は昔から不思議と人から好かれる子で、有り難いことに友達に恵まれていました。教室で倒れるたびに友達が保健室まで運んでくれ、登下校は私が車で送り迎えする日々でしたが、なんとか高校を卒業することができました。

 しかし、大学受験に失敗し、次男は浪人生になりました。てんかんの発作もあって学力は伸び悩みました。そして卒業から数カ月後、模擬試験の結果を見て心が折れた次男は、引きこもるようになってしまったのです。私は、「人間は神の子で、誰もが無限力を宿している」という生長の家の教えを学べば立ち直ってくれるかもしれないと思い、生長の家宇治別格本山*6の練成会*7に行かせることにしました。
*6 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*7 合宿形式で教えを学び、実践するつどい

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 次男は10日間の練成会を受けた後、講師の勧めもあってそのまま研修生として残り、1年間の研修生活を送りました。夫と一緒に定期的に様子を見に行くと、あるとき「心配をかけてごめん。ここには僕より大変な問題を抱えている人がたくさん練成会を受けに来ていて、そういった方々のお世話を任されてから、自分がどれだけ恵まれているのかやっと気づいたよ。お父さん、お母さん、いつもありがとう」と言ってくれたのです。

 研修生活を終えて帰ってきた次男は、スーパーマーケットでアルバイトをしながら、昔から好きだった音楽活動に本格的に取り組み始め、地元の生長の家青年会*8で伝道活動にも積極的に参加するようになりました。
*8 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織

 さまざまなことに前向きに取り組む次男の姿は、私の目にとても頼もしく映りました。そして平成16年の夏、次男が定期検診を受けると、「脳波に特に異常はないです」と医師が言ってくれたのです。てんかんを発症してから脳波が正常になるのは初めてでした。

 それから間もなく、地元の高校生練成会に世話役として参加した次男は、会場で『Your Smile』という自作の歌をギター片手にサプライズで披露し、その場に居合わせた私は胸を打たれました。

 励ましてくれたことも
 叱ってくれたことも
 ちゃんと僕は 覚えてるから
 忘れはしないよ
 泣かした分だけ これからずっと
 笑わせてあげるよ
 僕のこの胸に灯してくれた
 この火を消さぬように

 (一部抜粋)

 次男が生まれてからの思い出が走馬灯のようによみがえり、瞼(まぶた)を焼くような熱い涙があふれ、止まらなくなりました。

「これからも1人でも多くの方のために愛を出していきたいと思います」(撮影/永谷正樹)

「これからも1人でも多くの方のために愛を出していきたいと思います」(撮影/永谷正樹)

 それからの次男は発作を起こすこともなくなり、平成18年に結婚し、その8年後には生長の家国際本部で働くようになりました。てんかんでつらい思いをしたからこそ、同じように病気で苦しむ人の気持ちが分かる優しい講師として、これからも活躍してくれると信じています。

 次男が研修生となったことをきっかけに、夫と長男も練成会に参加するようになり、現在は2人とも地方講師*9として頑張っています。お正月に家族全員が揃うと、皆で生長の家の教えについて語り合えるのが本当に嬉しくて有り難く、私たち家族を信仰に導いてくれた次男に感謝しかありません。
*9 教えを居住地で伝えるボランティアの講師

 これからの人生、夫と田畑を守りながら、一人でも多くの方のために愛を出していきたいと思います。