川添陽子(かわそえ・ようこ)さん(55歳)宮崎市 一ツ葉海岸の松林で集めた松ぼっくりから作ったリースを手に 取材/原口真吾(本誌) 撮影/髙木あゆみ

川添陽子(かわそえ・ようこ)さん(55歳)宮崎市
一ツ葉海岸の松林で集めた松ぼっくりから作ったリースを手に
取材/原口真吾(本誌) 撮影/髙木あゆみ

海の思い出

 青く澄みわたる宮崎の海。砂浜には色とりどりの貝殻や白い流木、サンゴのかけらなどがあちこちに散らばり、子どもの頃の川添陽子さんの目には宝石箱のように映って、夢中になって遊んだ。それを満面の笑みで受け止めてくれた母親との時間は、かけがえのない思い出になっている。

 宮崎市内で生まれ育った川添さんは、海を渡る船を見るのも好きだった。船上から眺める風景にあこがれて、「海に学び、海をひらき、世界にはばたく」をモットーとする県立水産高校(現在の県立宮崎海洋高校)に進学した。高校3年生の夏休みには、宮崎港から約20キロ南にある青島までの、往復1時間ほどの航海が叶った。

「船の揺れが心地よくて、波のしぶきと音が爽快でした。視界一面に広がり、はるか先までつづく海に感動しました」

 

上:“海の宝物”で小物作りを楽しむ/下:サンゴのかけらとフジツボの殻を合わせたクラフト

上:“海の宝物”で小物作りを楽しむ/下:サンゴのかけらとフジツボの殻を合わせたクラフト

 川添さんにとって、海はいつも特別な場所だった。高校卒業後は福祉の専門学校に通い、老人福祉施設で働き始めたが、時として入居者から心ない言葉をぶつけられることもあった。悲しいときはひとり浜辺に行き、海に向かって悩みを打ち明けると、波がすべて受け止めて、のみこんでくれるような気がしたという。

「よせて返す波の音は、“心配ないよ、大丈夫だよ”と励ましてくれているようでした。海をながめていると、私の悩みがちっぽけに思えて癒やされるんです。海のやさしさは、いつも私を見守り、導いてくれる神様の愛のあらわれのように感じました」

 時間があれば波音をずっと聴いていたいという川添さんは、27歳で結婚し、二男二女に恵まれた。12年前に夫と別れ、現在は長男の佑介さん(26歳)、次男の浩太郎さん(24歳)、次女の知恵子さん(20歳)と4人で暮らしている。ふだんは自宅でマッサージの仕事をし、休日はよく海へドライブに出かける。海の透明度の高い青島海岸や、波の静かな入り江の白浜海岸、松林の先に海が広がる一ツ葉海岸などがお気に入りの場所。ドライブをしながら浜辺に降りられる場所を探し、砂浜に降りたら裸足になる。その気持ち良さはたまらないという。

 海では砂浜を、人の背中を押すようにマッサージして「いつも癒やしてくれて、ありがとうございます」とつぶやいたり、生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観の祈りの言葉を唱えながら浜辺を歩く。そうして出合った貝殻や流木などに縁を感じて持ち帰り、インテリアとして楽しんでいる。

「流木のくねくねと曲がった形が好きなんです。素足で踏む砂の心地よさを感じ、波音に耳を傾けながら砂浜を歩いていると、心がすっきりして、体もすーっと軽くなります。海にはいつも癒やされているので、『私は海に何ができるんだろう?』という思いが、自然と湧いてきました」

信仰で子どもの病を乗り越える

 川添さんが生長の家の教えに触れたのは、31歳の時。平成5年に誕生した長男が生後3カ月の時に、完全型心内膜欠損症が見つかったのがきっかけだった。心臓内を仕切る壁がなく命の危険がある重い病気で、悩みを相談した福祉施設の元同僚の知人から、生長の家のお経の一つである『甘露の法雨』(*)を渡された。

「お経をいただいて間もなく、長男は大きな手術をすることになりました。そのとき、『これを読まないと死んでしまう』という直感があって、長男が手術室に入る直前から無心になって読み続けました」

 手術が無事に成功した後も『甘露の法雨』を読誦するのが習慣になり、長男が4歳になってからは、生長の家の勉強会に参加するようになった。そこで学んだ「人間は神の子。病は心の影で本来無し」という教えが、抵抗なく心に入って来た。長男に何種類も処方されていた薬の副作用を心配していた川添さんは、思い切って服薬を中止し、息子に宿る完全円満な神のいのちを祈る決心をした。

「『あなたは神の子だから、薬で生かされるような、ちっぽけな命じゃないのよ』と励まし続けました。それからはどんどん元気になって、普通の子どもと同じように運動会にも参加できるようになったんです。それどころか、風邪一つ引かないくらい丈夫に育ってくれて本当に嬉しいです」

海への恩返し

 川添さんは子どもたちが幼い頃から、子どもを連れて出かけるときは必ずゴミ袋を持参し、海や公園で遊ばせる横でゴミ拾いをしていた。

「もともとはきれいな場所ですから、ゴミで汚される前の調和した状態に戻したいと思うんです。子どもたちにゴミ拾いをしなさいと言ったことはありませんが、自然と学校の帰り道でゴミを拾ってきたりするようになりました」

 今も海に出かけるときは、弁当や潮干狩りの道具などと一緒にゴミ袋を持参する。ふだんから心を癒やしてくれるお返しにと、感謝の気持ちを込めてビーチクリーン(海岸清掃)をしていると、サーフィンの人たちが「ありがとうございます」と声をかけてくれたり、ゴミを拾ってくれることもある。

 海辺の駐車場に捨てられていた、灰皿をそのままひっくり返したようなタバコの吸い殻の山を片付けていたときは、40代前半くらいの男性がやって来て、「すみません!」と、あせった様子で謝ってきた。

「ほんの出来心でしたことだったのかもしれません。でも、心の奥底には後ろめたい気持ちがあり、戻ってきてくれたんだと思うと嬉しくなりました。誰の心の中にも、神の子としての神性が宿っているんですね」

「季節や時間で見え方が全然違うんです。海ではいつも感動しています」

「季節や時間で見え方が全然違うんです。海ではいつも感動しています」

 最近ではフェイスブックで生長の家の信徒仲間にもビーチクリーンを呼びかけ、日時を合わせてそれぞれの場所で清掃活動を行っている。投稿を見て参加してくれる人も増えてきた。

 次男は高校生の時にクラスメートと海釣りに行き、釣った魚をその場で塩焼きにした。次男は食べる前に「神さま、このいのちいただきます!」と、海に呼びかけたという。

「自然の恩恵に生かされていること、いのちをいただいて生きているということが、海を愛する私の姿を通して、子どもにもしっかり伝わっていると分かって嬉しかったです。人間も自然の一部だということを思い出し、自分の事として考えることが、地球環境を美しく保つために必要だと思います」

 川添さんは環境への負荷をなるべく抑えたいという思いから、塩素系漂白剤の使用をやめ、環境への影響が少ない洗剤に変えて20年以上が経つ。

「便利だから、安いからと、自分の都合だけを考えて排水で海を汚しても、結局はその海で育った魚を口にすることになり、自分の身に返ってくるんです。一人の力では何も変わらないって思うかもしれませんが、自分が変われば家族や友人も影響され、その輪がどんどん広がっていきます。ビーチクリーンを続けて、宮崎の美しく澄みわたる海を、これからも守っていきたいです。海は大いなる父であり、母であり、心から安らげる癒やしの場所ですから」

 と、川添さんは思いを込めて話した。

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