仕事と伝道に打ち込む日々

 
 私は生長の家の「人間は神の子で、完全円満な存在である」という教えを学んでいながら、長い間、実生活とのギャップに悩んできました。

 教えに触れたきっかけは、中学生の時に祖母に勧められて参加した青少年練成会*1でした。教区の青年会委員長をはじめ、運営に携わっていた運営委員の方々は、私たちを指導するだけでなく、講話や行事のときはいつも最前列で受けていて、その熱意に自分も先輩のような大人になりたいと憧れを抱きました。
*1 合宿して教えを学び、実践するつどい

 そして、練成会で知り合った同年代の友人と共に青年会*2に入り、伝道に励むようになりました。仲間たちは、人の役に立ちたいという志を持った人ばかりで、私も、高校卒業後は福祉の世界で働きたいという夢を抱くようになりました。
*2 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織

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 ところが、志望していた大学に落ちてしまい、一浪して再チャレンジしたものの、すべて不合格でした。さすがに二浪はできないと悩んでいたとき、石材業を営んでいた叔父から声がかかり、その会社に就職しました。

 主な仕事は墓石に名前を刻むことで、「大工は生きている人の家を造るのが仕事だが、自分たちは亡くなった人のための家を造るのが仕事だ」というのが、叔父の口癖でした。私も生長の家で「大地は神様、根は先祖、幹は両親、子孫は枝葉。枝葉に花咲き、よき果(み)を結ぶは、親に孝養、先祖に供養」と、両親や先祖に感謝することの大切さを学んでいたため、叔父の言葉に共感し、一層仕事に身が入るようになりました。

 仕事が終わった後や休日には、教区の青年会の仲間達と共に、「人間は神の子」という教えと、人生の光明面を見つめる日時計主義を人に伝えることで、より良い社会を実現するために貢献しているという手応えを感じていました。

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満たされない思いを抱えて

 
 しかしその半面、心の片隅にどこか満たされない思いを抱えていました。「誰もが神から与えられた尊い使命がある」と後輩たちを諭し、夢を描くことの大切さを語ることと、志望していた福祉の道を諦め、流されるままに生きている自分の生き方にギャップを感じていたのです。そんなことを考えて悩むうちに、次第にギャンブルにのめり込むようになってしまったのです。喧騒の中に身を置き、タバコを吸うことで、本心から目を背けようとしていたのだと思います。

 そんな30歳のとき、誌友会*3に初めて参加した年下の女性と出会いました。彼女の両親は生長の家を信仰しており、彼女自身も小学生の時、高校生の私が運営に携わった練成会に参加したことがあったそうで、なんとなく縁を感じて交際するようになりました。
*3 教えを学ぶつどい

 翌年に結婚したのですが、妻はタバコの臭いが苦手で、結婚を機に禁煙を約束させられました。しかし、どうしてもやめられず、職場や家の外で隠れて吸っていました。

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 一男一女に恵まれてからも、相変わらずギャンブルを続け、ほとんど家にいない状態でした。それだけでなく、負けた分を取り返すため消費者金融にまで手を出しました。当時は給料が手渡しだったのを良いことに、自分で作ったニセの給与明細書を妻に渡し、その差額を消費者金融の返済に回すということを繰り返していたのです。

 そんな中、石材業の社長が叔父から別の人に代わり、ある日突然、「お前はもう明日から来なくていい!」とクビを宣告されました。クビにされるような心当たりはまったくなかったものの、争うのは嫌だったので、反論もせず退職することにしました。

 妻は今後の生活を心配して、早く次の仕事をと急かしましたが、家計は妻に任せきりで貯金がいくらあるかも知らず、どこか他人事のように思え、「まあ、なんとかなるだろう」とのんびり構えていました。

身から出たサビと離婚を受け入れて

 
 その後、1カ月ほどして長距離トラックの運転手になりました。しかし、不規則な仕事で睡眠不足から運転を誤ってサイドミラーを破損させたり、急な車線変更で追突を招いたりと、二度も事故を起こしてしまいました。

 そのため1年ほどで退職し、違う職場に移りました。ただ、残業が多くて家にいないことが増え、子どもたちの世話や、リウマチで足が不自由な実母のサポート、認知症で目が離せない祖母の介護に至るまで、家のことはすべて妻に任せきりの状態でした。

 ある日、仕事から帰って「ただいま」と声をかけると、何の返事もありませんでした。何かあったのかと聞いても、妻は「別に」と言うばかりでしたが、当時の私には、悲しいかな、なぜそんなに妻が不機嫌なのか、さっぱり分からなかったのです。

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 そんな中、消費者金融の借金がばれ、激昂した妻から「あなたが何を言っても絶対に離婚する!」と宣言されてしまいました。事ここに至って初めて、妻にさんざん迷惑をかけていたことを如実に知り、これは身から出たサビだから何を言われても仕方ないと離婚を受け入れました。

 それから依存症の相談を行っている団体に足を運び、どうしてもギャンブルがやめられないことについて相談しました。そして、複数の消費者金融から借りていた300万円の借金を、自己破産することで解消してもらいました。何もかも失ってしまいましたが、その一方で「これで新しいスタートが切れる」という解放された思いもどこかにあったのです。

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すべては神様の思し召し

 
 それでもギャンブルをしたいという欲求を抑えるのはなかなか大変でした。回数は減ったもののずるずると続けていたのですが、中学生になった長女が不登校になり、通信制の高校に行かざるを得ないという話が漏れ聞こえてきました。長女の将来を考え、何としてでもお金を貯めてあげなければという思いに駆られ、意を決してギャンブルを止めて、生活費のほとんどを貯金に回すようになりました。 

 そして、ある程度まとまったお金を持って別れた妻に渡しに行くと、意外にも晴れやかな顔で受け取ってくれたのです。何か胸のつかえがとれ、それからは憑き物が落ちたように、ギャンブルをしたいという気持ちが一切なくなってしまいました。

 振り返ってみると、それまでの私は、生長の家で「現象は本来ない。本当にあるのは神が創られたままの完全円満な実相世界*4のみ」と教えられ、現象にとらわれないで生きようとするあまり、実生活を蔑(ないがし)ろにし、「“今”を生きる」という教えを実践することが疎(おろそ)かになっていたのでした。それが間違いだったと気づいた今は、自分を愛し、出会う一人ひとりの幸せのために働くことが、今を完全に生きることだと実感するようになりました。
*4 神によって創られたままの完全円満なすがた

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 平成31年には、遺伝の影響による糖尿病を患っていることが判明しましたが、これまでの人生と同じように、これを通して神様から気づきの機会を与えられたのだと、静かに受け止めることができました。

 人生には晴れの日も、雨の日もありますが、どんな日からも学ぶことがあります。すべてを神様の思し召しとして感謝して受け入れることが、魂の成長に繋がると信じています。

 医師からは、糖尿病の経過があまり良くないと言われていますが、「善一元の神は病を創らない。病は迷い心が仮に現れた姿に過ぎない」という教えを、さらに深く観じて生きていきたいと思います。