雄弁の才能をもっていたアドルフ・ヒトラーは、演説会では聴衆を熱狂させたそうです。1919年にナチス(正称は国民社会主義ドイツ労働者党)が結成された頃は、急激な工業化に苦しむ中産階級が救済を求めていました。ヒトラーはそうした中産階級を中心とする国民各層の支持を得ながら、大衆集会を頻繁(ひんぱん)に開いて党勢を急速に拡大させたといいます。
1929年には世界恐慌が始まり、1932年7月の議会選挙でナチスは37.4パーセントの得票率で議会第一党となり、翌年1月にはヒトラーを首相とする政権が発足します。それからわずか約2カ月後に「全権委任法(または授権法)」が成立しました。これは、議会の承認なしに政府が立法権を行使できる法律です。つまり首相が自由に法律を制定できるようになったのです。これによりヒトラーは地方自治権を停止させたり、ナチス以外の政党の存続と結成を禁止したりして、独裁体制を築いていきました。1933年10月には国際連盟脱退、36年にベルリンオリンピック開催。「全権委任法」は、当初4年間だけという時限立法でしたが、更新を繰返し、ついに39年9月には、ドイツ軍をポーランドに侵入させて第二次世界大戦が勃発しました。
確かにヒトラーは失業者に職を与え、工業を盛んにして繁栄をもたらし、軍備を大拡張して国力を発展させました。しかし、偏狭な民族主義を唱えて、ユダヤ人を排撃することなどもしています。
さて、ナチスが政権の座についたのは、選挙を通じて多くの人が支持を表明したからです。つまり、多数者の意見が政治に反映されたということになります。これにより、少数者の人権をないがしろにすることも平気で行われました。政府に対する民衆の小さな反抗が至る所で起こる一方で、逆に政治的無関心も広がったといいます。民主主義に基づいて行われる政治には、このような「多数者の専制」といわれる権力者の独裁が起こり得ることに注意が必要です。
これを防ぐには立憲主義の考え方が不可欠です。すなわち民主的な権力といえども憲法で制約して権力分立を定めるなど、立憲主義と民主主義のバランスを取ることが大切です。生長の家は、政治信条として立憲主義と民主主義を組み合わせた「立憲民主主義」を支持します。
今、日本では、安倍首相が立憲主義を「古色蒼然(こしょくそうぜん)とした考え方であって、専制主義的な王政があった時代では、憲法はたしかに権力者に対して権力の行使を縛るものでした」(安倍晋三著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』)と述べて、立憲主義を否定的に捉えています。麻生太郎財務相も2013年に憲法改正論に関して、ドイツのワイマール憲法がいつのまにかナチス憲法に変わったのだから、その手口を学んだらどうか、などと発言しました。現政権が立憲主義をないがしろにしていることがわかります。主権者である国民は立憲主義を正しく理解し、安倍政権の立憲主義を無視しようとする動向に注意することが重要でしょう。
参考文献
・谷口雅宣監修『誌友会のためのブックレットシリーズ3 “人間・神の子”は立憲主義の基礎──なぜ安倍政治ではいけないのか?』(生長の家、2016年)
・樋口陽一、小林節共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書、2016年)