前回は、日本政府の憲法草案がポツダム宣言の要件を満たすことができず、GHQが作成した草案が使われることになった経緯について述べました。では、日本国憲法はやはり、GHQが日本人の意思とは無関係なところでつくり上げたものなのでしょうか?
いいえ、そうではありません。実は、日本国憲法のなかには、日本人みずからが育んできた民主主義思想の流れが取り入れられているのです。
戦後、憲法草案を作成していたのは、日本政府とGHQだけではありませんでした。与野党や民間の有志によって、10数種の草案が作られていました(*1)。このうち、日本国憲法の起草に大きな影響を与えたのが、在野の憲法史研究者、鈴木安蔵(すずきやすぞう)を中心とした憲法研究会が作成した草案でした。
鈴木安蔵(1904~1983)は、京都大学に在学中、社会矛盾(むじゅん)の解決を研究する活動が治安維持法に違反するとして、有罪となって服役(ふくえき)し、出獄(しゅつごく)後、自分たちを処罰した天皇制国家の本質を憲法学的・政治学的に解明する過程で、明治時代の自由民権運動と、その運動のなかで作られた憲法草案を独自に研究していました(*2)。自由民権運動とは、明治初期、特定の藩の出身者が要職を独占(どくせん)した藩閥(はんばつ)政治に対し、国会開設、憲法制定など民主主義的な立憲制国家の建設をめざした運動でしたが、のちに明治政府に弾圧されてしまいます。鈴木は、自身の憲法草案をつくるにあたって、その運動のさなかに「真に大弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた廿余の草案を参考にした(*3)」と語っています。
GHQは早くから、この鈴木の研究に注目し、戦前の鈴木の著書を翻訳していました(*4)。鈴木が主導して作られた憲法研究会案は、1945年12月26日に発表されますが、GHQは5日後の31日には翻訳を終え、詳細な分析を行なっています(*5)。
憲法研究会案は、明治憲法とは異(こと)なり、とても民主的な内容でした。
まず、主権については、「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」とされ、国民主権の立場が明らかにされています(*6)。また、天皇の地位については、「天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専(もっぱ)ラ国家的儀式ヲ司(つかさど)ル」とされ、象徴天皇制に近い考え方が採り入れられました。
一方、人権の規定については、明治憲法では国民は「臣民」(天皇の臣下)と規定され、法律の範囲内でしか人権が保障されませんでした。しかし、憲法研究会案では、そうした制限は一切廃止すべきだとされ、全面的な人権保障条項が盛り込まれました。具体的には、「新政府樹立権」や「労働権」「養老、疾病(しっぺい)、失業の際の被護権」「労働者農民のみならず中産階級の生活権」「芸術、学術、教育の自由と保護の規定」「男女平等の保証」など、のちに日本国憲法にも規定される社会権や生存権が盛り込まれたのです(*7)。
GHQ草案の作成にあたって中心的な役割を担ったラウエル陸軍中佐は、憲法研究会の草案を見て、「いちじるしく自由主義的な諸規定」として国民主権、労働者保護などを列挙し、「この憲法草案中に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである(*8)」と述べています。その結果、彼が評価した項目の大部分がGHQ草案に採用されました(*9)。
また、日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権の条文は、GHQ草案にはなく、帝国議会における社会党の提案によって、憲法研究会案からほぼ原文通りに取り入れられたものです(*10)。
このように、日本国憲法には、日本の民主主義思想の流れが受け継がれているのです。(生長の家国際本部 国際運動部講師教育課)
*1=古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波書店、2015年)、38〜71頁
*2=同書、43頁「初代代表 鈴木安蔵のこと」憲法理論研究会ホームページ、http://kenriken.jp.net/about/representative/(2018年4月12日アクセス)
*3=塩田純『日本国憲法 誕生─知られざる舞台裏』(日本放送出版協会、2008年)44頁
*4=古関彰一著『平和憲法の深層』(ちくま新書、2015年)、171頁
*5=『日本国憲法の誕生』52〜53頁
*6=辻村みよ子著『比較のなかの改憲論─日本国憲法の位置』(岩波新書、2014年)、97頁
*7=『日本国憲法の誕生』47〜48頁
*8=前掲書、100〜101頁
*9=『比較のなかの改憲論』、80頁
*10=『日本国憲法の誕生』、51頁