「国民主権」は、「基本的人権の尊重」「平和主義」と並んで、日本国憲法の3大原則のひとつです。
国民主権の考え方は、17世紀にホッブズやロックといった社会思想家らによって形作られました。しかし、その原理を確立した歴史的な出来事は、18世紀のフランス革命です(*1)。革命ののろしが上がると、ブルボン王朝の圧制下にあった市民や農民などからなる階級の代表者たちは「憲法制定国民議会」を立ち上げ、1789年に17条からなる「人および市民の権利宣言」を採択しました(*2*3*4)。
この宣言は単に「人権宣言」とも呼ばれ、その後の憲法にとって重要な人間の自由と平等、言論の自由、三権分立などの考え方を含んでいました。その第3条に、次のように宣言されています。「あらゆる主権の淵源(えんげん)は、本来的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない」(*5)。これが、国民主権の原理です。
日本においては、大日本帝国憲法の下、天皇の統帥(とうすい)権を盾(たて)に軍部が台頭(たいとう)して大東亜戦争に突入し、国民が大きな犠牲を払った経験を踏まえ、日本国憲法では、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と、「国民主権」が明記されています。
それでは、日本において国民主権とは具体的にだれが、どのような力を持っていることを意味するのでしょうか。
まず、その力を持っているのは日本国民です。しかし、実際には国民の主権は国民の代表者である国会議員によって行使されます。国民は選挙によって選んだ代表者を信じて、一定期間、自らを統治する権限を託すのです。
このように、国民が選んだ代表者が間接的に国政を運営する政治制度のことを、間接民主制や、代表民主制等と呼びます。これは、日本国憲法によって定められた日本の国のあり方の一つであり、例えば、衆議院および参議院の選挙は「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」という憲法第43条1項に基づいて行われています。
したがって、衆議院および参議院の議員を選出する国政選挙は、国民が自ら主権者として政治的意思を直接表明できる重要な機会であるといえます。
このような選挙権の行使については、しばしば国民の「権利」としての側面が強調されます。しかし、その「権利」は自分だけのために行使されるものではありません。どの候補を国会議員として選ぶかによって、その影響は自分の生活だけではなく、日本の社会全体に及ぶからです。つまり、国政選挙には「公務」としての側面もあるのです(*6)。
現在、安倍政権は国防への危機感をあおりつつ、憲法改正への意欲をあらわにしていますが、そのねらいは実は“日本軍国化”にあり、私たち国民の人権を縮小する方向を目指しています。にもかかわらず、去る10月に行われた第48回衆院選の投票率は53.7%で、戦後2番目の低さでした(*7)。私たち国民は日本の主権者である、という事実にもっと自覚的でなければならないのではないでしょうか。国民主権とは、選挙を通じて自らの人権を守る力のことでもあるのです。
参考文献
- 谷口雅宣監修『 “人間・神の子”は立憲主義の基礎』(生長の家、2016年)
- 佐藤幸治著『日本国憲法論』(成文堂、2016年)
- 木下康彦、木村靖二、吉田寅編『改訂版 詳説世界史研究』(山川出版社、2013年)
- 樋口陽一、小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書、2016年)
- 初宿正典、辻村みよ子編『新解説世界憲法集 第4版』(三省堂、2017年)
*1=佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂、p.387
*2=畑安次『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
*3=木下康彦、木村靖二、吉田寅編『改訂版 詳説世界史研究』山川出版社、pp.343-345
*4 樋口陽一、小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書、pp.204-205
*5=初宿正典、辻村みよ子編『新解説世界憲法集 第4版』三省堂、p.280
*6=谷口雅宣監修『 “人間・神の子”は立憲主義の基礎』(生長の家、2016年)、pp.69-70
*7=『毎日新聞』2017年10月23日付、『ウェザーニュース』