現代における立憲主義は、憲法に「人権保障」と「権力分立」を謳(うた)うことが特徴です。
「人権」とは人間が人間らしく生きるために生来持っている権利のことで、自然権とも言います。例えば、フランス革命勃発直後に国民議会が議決したフランス人権宣言(1789年)は、この人権を保障したことで有名です。その第1条で「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と謳いました。
しかし一方で法理論として自然権を認めず、実定法(現実に行われている法)だけを研究対象にする法実証主義があります。法実証主義では、自然権はもちろんのこと、単なる道徳規範や宗教規範は法とは考えず、国家や法が成立していなければ権利は存在しないとし、ヨーロッパではこの二つの考え方が対立してきました。19世紀は法実証主義が主流となり、自然権が復活するのは20世紀半ばの第二次世界大戦後でした。
この大戦では何千万人とも言われる犠牲者を出しましたが、国際連盟に代わって国際連合が設立される際、国際連合憲章(1945年10月発効)には、「われら連合国の人民は、/われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、/基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、(後略)」と記され、人権保障の重要性が示されました。大戦中、例えばドイツでは「全権委任法」の可決により、首相のヒトラーに独裁的な権限が与えられました。そうなると国民はなかなかその体制から抜け出すことができません。このような経験から立憲主義の復活強化が行われるようになりました。
1948年には国連総会で「世界人権宣言」が採択され、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準であると宣言されました。さらに1966年には基本的人権を国際的に保護する「国際人権規約」が採択されました。この条約は締結国に対して法的拘束力(こうそくりょく)をもつものです。
さて、日本国憲法(1947年施行)においては「基本的人権」が憲法制定に先立って既にあるものと考えられ、第11条で基本的人権は侵(おか)すことのできない永久の権利であると定めています。その根拠は、第97条に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって(後略)」と示されています。
「人権保障」は、宗教者から見てどのように位置づけられるものでしょうか? ──生長の家では、人間は皆神の子であって、一人一人がかけがえのない存在であると考えますから、この教えを人権尊重の根拠として提示することができます。また生長の家に限らず、仏教、キリスト教、神道にも人間一人一人を尊ぶ教えがあります。このような宗教的な価値は、人権尊重の理念を基礎づけることができると言えるでしょう。
参考文献
・谷口雅宣監修『誌友会のためのブックレットシリーズ3 “人間・神の子”は立憲主義の基礎──なぜ安倍政治ではいけないのか?』(生長の家、2016年)
・佐藤幸治著『立憲主義について──成立過程と現代』(放送大学叢書、2016年)