藤崎秀平さん│62歳│富山県南砺市 純白の作業着で大日如来像を彫る。「仏像を彫り参らせることは、私の一つの祈りです」  取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘

藤崎秀平さん│62歳│富山県南砺市
純白の作業着で大日如来像を彫る。「仏像を彫り参らせることは、私の一つの祈りです」 
取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘

 仏師・藤崎秀平さんの自宅兼工房は、石畳に面した商店街に連なる古刹と神社のすぐ隣にあった。

藤崎さんが手がけた十一面観音像(写真提供:藤崎秀平さん)

藤崎さんが手がけた十一面観音像(写真提供:藤崎秀平さん)

 今、手がけているのは、香川県三豊市にある高野山真言宗の本山寺(もとやまじ)から依頼された大日如来像で、高さは約65センチ。木の香りを漂わせ、柔和な笑みを湛えた大日如来像は、ほぼ完成の域に達していた。

「突然、本山寺から話があったときは驚きましたが、5人の候補者の中から白羽の矢が立ったと聞いて、ありがたいと思ってお受けしました。私の持てるすべての技と魂を注いで制作しています」

 大日如来像の細部を整え、藤崎さんの手を離れた後は、京都の切金(きりかね)専門の工房に移され、装身具などが施されて、来年、本山寺で開眼供養を迎える。

「完成まで、私一人で全部をこなすと思っている人が多いんですが、分業制がきちんと守られていることが、日本の伝統の素晴らしいところです。確かな技量を持った人がたくさんいるという証ですから」

 藤崎さんが住む地区は、以前は東砺波郡井波町という町名で、町民の多くが欄間(らんま)や獅子頭(ししがしら)をつくる彫物師だった。3年前には、この町で制作される「井波彫刻」が、文化庁によって日本遺産に認定された。

 そんな彫刻の町に生まれた藤崎さんは、欄間づくりに勤(いそ)しむ父親の秀一さん(故人)の姿を見て育ち、高校を卒業後、自然に家業を手伝うようになった。

「当時は欄間も注文が多く、これで食べていけると思っていましたが、父からはいつも、自分の道を自分で切り開け、と言われていました。反発したこともありましたけど、現状に甘んじることなく高いところを目指せと言ってくれていたんだと分かり、それから、木彫の頂点とされる仏師を目指そうと思うようになったんです」

家々の軒先に彫刻が置かれている井波商店街で

家々の軒先に彫刻が置かれている井波商店街で

 仕事の合間を縫い、5年間、仏像彫刻の教室に通って基礎を学び、27歳で独立した。とはいえ、当初は仏像制作の依頼はなく、仏教関係の肖像彫刻を手がけた。しかし、技量を磨くうちに仏具店から認められ、全国の寺から仏像制作の注文が入るようになった。

 現在、3人の子どもたちは独立し、妻と母親、内弟子の4人で暮らす藤崎さんは、秀一さんから生長の家の信仰を伝えられた。中高生の頃は、生長の家の青少年練成会(*)に参加し、「人間は神の子である」という教えを学んで育った。

「父が弛(たゆ)むことなく、一心に欄間づくりに励むことができたのは、生長の家で『人間には無限の力がある』と教えられていたからだと思います。仏像を彫り参らせていただくことは一つの祈りですから、父の生き方に倣(なら)ってさらに高みを目指し、多くの人に拝んでいただけるような仏像をつくりたいと念願しています」

 仏師一筋に生きる真摯な姿がそこにあった。

*=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践する集い