
佐藤佳樹(さいとう・よしき)さん│72歳│仙台市青葉区
『禁じられた遊び』のテーマ曲を演奏する佐藤さん。「今でも私が一番好きな曲です」
取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘
ギタリストの佐藤佳樹さんは、音楽教室「アカデミー学院」(仙台市)を主宰しながら、72歳になった今も意欲的に演奏活動を行っている。中でも特筆すべきは、東日本大震災が発生した平成23年の11月から始めたミニコンサートで、6年半で30回以上に及ぶ。
「こんな時に音楽どころではないとも思ったんですが、仲間の音楽家から声をかけられたため、少しでも被災した方々の慰めになればと、仮設住宅の集会場などでコンサートを無料で開くようになったんです」

30回以上にわたって東日本大震災の被災地を訪れ、ミニコンサートを開いた
震災の混乱が続く中、人が集まるか不安だったが、各会場には多くの人が詰めかけ、立ち見も出るほどの盛況となった。佐藤さんは、本格的なギター曲は控え、軽妙なトークを交えながら、誰もが知っている童謡や演歌の懐メロなどを披露した。
「皆さんが唱和してくれただけでなく、中には涙を流して聴いてくださる方もいて、音楽にはこんな大きな力があったんだと驚きました。長く音楽を続けてきた中で、あれほど感動したことはありません」
佐藤さんがギターに目覚めたのは、高校生の時。ギターを欲しがっているのを知った姉が、高校の入学祝いにプレゼントしてくれたのがきっかけだった。
「その直後、『禁じられた遊び』(*1)を観る機会があり、ナルシソ・イエペスがギターで奏でる主題曲『愛のロマンス』を聴いた時、何という美しい調べなんだろうと、すっかりギターに魅せられてしまったんです。自分でも弾いてみたくて、教則本などを見ながら独学で練習し、どうにか弾けるようになったときの嬉しさを、今でもよく覚えています」

妻の久美子さんと自宅横で。「今の幸せがあるのは、妻のおかげです」
大学ではグリークラブに入って音楽を学び、卒業後、製薬会社に就職して仙台に赴任。その傍ら本格的にギターの勉強を始めた。その後、31歳の時に会社を辞めて、プロのギタリストに転身した。
「音楽の道に進むことができたのは、『人間は神の子で、無限の可能性を持っている』という生長の家の教えがあったからだと思います」
佐藤さんは、子どもの頃に両親から教えを伝えられ、相愛会(*2)の一員として活躍した。平成25年から31年には、6年にわたって、生長の家相愛会宮城教区連合会長という重責も担った。
「私にとっては、神様の世界の真・善・美を現すという意味で、信仰も音楽も同じなんです。被災地でのミニコンサートが感動的だったのは、まさにその真・善・美が溢れていたからだと思っています」
佐藤さんが爪弾く優しいギターの音色は、これからも多くの人を魅了するに違いない。
*1=1952年のフランスの映画。 監督はルネ・クレマン
*2=生長の家の男性の組織