A 自然権の考え方から出発し、「個人の尊重」のために人権保障、権力分立、社会権を取り入れてきました。
権力の濫用(らんよう)を防ぐために権力を制限しようとする試みは古代からありました。17〜8世紀になると、その試みは、憲法によって権力を縛(しば)り、憲法を権力に守らせる「立憲主義」へ発展しました。その大きな契機(けいき)となったのが、ジョン・ロック(1632〜1704)が唱えた「自然権」の考え方です。
ロックは、人は誰でも生まれながらにして自由かつ平等で、生命、自由、財産への権利という「自然権」を持っていると唱えました。そして、この自然権を確実なものとするために、市民は互いに社会契約を結んで政府をつくり、政府に権力の行使を委(ゆだ)ねるのであって(「社会契約説」)、逆に政府が好き勝手に権力を行使して人びとの権利を不当に制限する場合には、人びとは政府に抵抗する権利(「抵抗権」)を持つのだと主張しました(*1)。こうしたロックの自然権の考え方は、アメリカ独立運動やフランス市民革命を経て、アメリカ独立宣言(1776年)やフランス人権宣言(1789年)に採用されました。
独立宣言と人権宣言は、権力に対して一人ひとりの個人としての権利を保障する憲法、つまり「個人の尊重」を基本とする「近代立憲主義」の憲法へと発展していきました。具体的には、国民主権、基本的人権の保障、権力分立の原則が取り入れられたのです。
憲法が保障する「個人の尊重」は、個人が自由に活動するための根拠となりました。そのため、政府はなるべく個人の活動にはせず、その結果、自由な経済活動が活発になり、資本主義経済が発達しました。しかし一方で、富める者がますます富み、貧しい者がますます貧しくなるという格差が生じました。そこで、「個人の尊重」の観点から弱者の自由と生存を守るため、今度は、政府は社会へ積極的に介入すべきだと考えられるようになります(*2)。
こうして立憲主義は、19〜20世紀にかけて、弱者救済のための「社会権」を取り入れた「現代立憲主義」へと発展したのです(*3)。
*1 芦部信喜著『憲法 第六版』6ページ、岩波書店刊
*2 前掲書。15〜17ページ
*3 伊藤真著『憲法問題』231〜232ページ、PHP新書刊