T.S.さん 山梨県・20歳・団体職員 取材●長谷部匡彦(本誌) 撮影●永谷正樹

T.S.さん 山梨県・20歳・団体職員
取材●長谷部匡彦(本誌) 撮影●永谷正樹

「病気に意識を向けるのではなく、自分を支えてくれている家族や友達、すでにある恵まれた環境に意識を向けることで、感謝の思いが湧いてきて、見える世界が変わっていきました」

 不安を抱え、それに意識を向け続けていると、心が不安に支配されてしまうので、そんなときは、人や物事の明るい面を見つめることが大切だと、Tさんは振り返る。 

辛さを理解してくれる友人と笑い合えたから乗り越えられました

 平成28年4月に、カトリック系の私立高校に入学したTさんは、小・中学校と続けてきたバスケットボールに打ち込んだ。充実した学校生活を送っていたが、高校1年の年末に、原因不明の関節の痛みを感じるようになった。

hidokei134_rupo_6「最初は部活の疲れが原因かなと思っていたんですが、1週間経っても痛みが引かず、徐々に全身に広がっていったんです。母に相談して、病院で血液検査やMRI検査などを受けましたが、すべて正常値だったので、痛みの原因は分かりませんでした」

 その後も、全身の強い痛みやこわばり、疲労感などに襲われ、頭痛などの症状もあったため、医学的検査では原因がわからないのに身体症状が続く「疼痛性障害」と、病院で診断された。

 天候のちょっとした変化や、季節の変わり目などでも身体が辛くなり、Tさんは大好きなバスケットボールを断念せざるを得なくなった。次第に学校を休みがちになり、登校できても保健室で休むことが度々あったが、そんな時でも、仲の良い友人達が支えてくれたという。

「授業を休んだ時は、ノートを写させてくれたり、昼食中に痛みで腕が動かせなくなった時にも、『私が食べさせてあげる』と、笑顔で言ってくれたりしました。普段はいつも通りに接してくれて、困っている時だけ支えてくれたのが本当に嬉しかったです」

 身体的に辛いことがあっても、それほど塞ぎ込むことなく学校生活を送ることができたのは、友人と笑って過ごす時間があったのが大きかったと、Tさんは振り返る。

「私が辛そうにしていると、友人たちの表情も暗くなってしまうのが申し訳なくて。私はみんなの楽しそうな表情から、いつもたくさんの元気をもらっていたので、私も痛みに負けず、できるだけ笑顔で過ごすようにしようと思ったんです」

 そうして明るく笑顔で生活することを心がけていると、高校3年生になったころから徐々に症状が軽くなっていった。そして、短大に進学する頃には、自然と症状が消えていた。

「笑うことで心が明るくなり、自分や周囲の人たちに幸福と健康が招かれると説く、生長の家の“朗らかに笑って生きる”という教えの大切さを改めて実感しました」

病気は、人と真摯に向き合う大切さを教えてくれました

 Tさんは、病気を通して以前よりも人の愛情を感じるようになったという。

hidokei134_rupo_8 病気になる前の高校1年の秋、授業のなかで、「自分のできることで愛を実践する」という課題があった。Tさんは高齢者や妊婦に電車の席を譲ったり、車椅子の人が段差を乗り越えられなくて困っている時などに、手助けをしたりした。

「助けを必要としている人のために何かをすることで、相手の喜びが伝わってきて、私の心も温かくなったんです。その経験があったから、自分が病気を発症したときに、たくさんの人の善意を心から感じることができました。そして、私の感謝の気持ちを受け止めてくれる人がいてくれることは、とてもありがたいことなんだ、と思うようになったんです」

 家族や友人、病気を通して出合った医師や病院、辛い時に優しい声掛けをしてくれる人達など、恵まれている環境に意識を向けたとき、世界が違って見えたとTさんは話す。

「人に対して真摯に心を向けて対話をすることで、愛の感じ方が変わり、生長の家で教えられた『神様が創られた本来完全円満な善一元(ぜんいちげん)の世界』が見えてくると思います。病気は、その世界があることを教えてくれました。病気にも何かしらの意味があって、それを前向きに受け止めることで、新しい世界の扉が開けてくるのだと思います」