
養老孟司(ようろう・たけし)さん
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部を卒業後、解剖学教室に入る。東京大学名誉教授。『からだの見方』(筑摩書房、1989年)でサントリー学芸賞を受賞。毎日出版文化賞特別賞を受賞した『バカの壁』(新潮社、2003年)は、累計440万部を超える大ベストセラーとなった。ほかに、近著の『養老先生のさかさま人間学』(ミチコーポレーション)など著作多数。大の虫好き、漫画好きとしても知られる。
取材●中村 聖(本誌) 撮影●堀 隆弘
不安や焦りを手放し、より良く生きるために大切なのは「自足」だと、解剖学者の養老孟司さんは語る。自分を深く見つめ、本気で物事に取り組んだ先に、本当の意味での喜びに満ちた人生があるという。
「死」が記憶の始まり
──4歳の時に、お父様を結核で亡くされていらっしゃいますが、人間の死と向かい合う解剖学の道に進まれたのは、それがきっかけの一つだったのでしょうか。
養老 よく分かんないですね。結局、僕は父親が死んだってことを思い出したくない、認めたくないってことで、抑え込んじゃったんです。それを心理学では「抑圧(*1)」っていいますけど、僕はそれを結構やるんですよ。
──お父様は、ご自分で飼われていた文鳥(ぶんちょう)を外に放してあげたその日の夜に、亡くなられたそうですね。
養老 夜中に誰かに起こされてびっくりしていると、「お父さんに、さようならを言いなさい」と言われたんです。でも、声が出なかった。子どもにとって、親に死なれるってことは大事件だけど、結局そのことが受け入れられなかった。そのあと、何が起こったかというと、僕は人に挨拶ができなくなっちゃった。心理的に抑圧するってことは、その人の行動を変えちゃうんです。
それで、それこそ中年になってから、たまたま地下鉄に乗っているときに、ふっと思ったんです。もしかして、人に挨拶ができないことと、父親が死ぬときに「さよなら」って言えなかったことが関係しているんじゃないかって。そしたら、思わず涙が出てきましてね。ああ、いま父親が死んだんだと思った。
だから、父親の死と、解剖に直接の関係はないけど、多少は影響があるのかもしれません。僕の場合は、死が記憶の始まりにありますから。
悩む暇があったら、作業をしなさい
──もし自分が人の解剖をすると思うと、相当な覚悟が必要だと思います。
養老 大抵の人がそう思いますが、それは想像上の問題でね。死体の気味悪さっていうのは、見たことがないと逆に強くなるんです。だって、戦争中の東京大空襲の後などは、死体が山のように積まれていたわけですから。でも、それを見たから気が変になったという人の話は聞いたことがない。結構平気なんですよ。
だから変に想像するより、やってみることだね(笑)。僕は学生時代、解剖をしているときが一番心が落ち着いたんですよ。なかなか分かってもらえないんだけど。
──黙々と解剖に取り組まれていたんですか。
養老 作業そのものをやっている方が落ち着くんです。今でもそうですよ。虫の標本なんか作っているときは、余計なものが頭に入ってこなくていい。やっぱり、なんか体を使って集中してやるっていう作業を、若い人には勧めたいですね。色々悩む暇があったら、作業をしなさいって(笑)。
──「言葉には物事を切る力がある」というお話をよくされますが、それが体の器官の話につながっていくのが面白いなと。
養老 名前を付けると、切らざるを得なくなるんですよ。例えば消化器官というのは一本の管であって、どこからが小腸かとか、どこまでが大腸だとか、はっきりと分けることはできない。だから、言葉で「切る」ことで区別しているんです。
大切なのは、すべて切れ目なくつながっている自然のものを、自分が言葉によって切っているのだという自覚を持つことなんです。
生きる意味は、他者との関係のなかにある
──いま、コロナの影響で、人々が不安を抱えながら生活をしていますが、その根底には、「死」が可視化されたことで、パニックになったという面もあると思うんですが。
養老 どうして不安になるのかな。そんなこと考えなくたっていずれ死ぬんだから。若い人は「死が怖い」って言うけど、自分が死ぬときは、ある日ぷっつんと終わるんだからね。親や恋人、親友などが死ぬ場合をひっくり返して考えれば、自分が死ねば誰が悲しむかってことは、すぐに分かるでしょう。
ただ、あまり死を怖がるなっていう教育を若い人にはしたくなくてね。最近多くなったテロとか自殺を防ぐ上でも、本当に考える必要があるのは、一人称ではなくて二人称の死です。生きる意味というのは、本来他者との関係のなかに見出していくものだからね。
コロナのおかげで、自分の生き方を考え直すようになったんじゃないですか。だから、こういうことって悪いことじゃないと思うんだよね。立ち止まって考え直す機会をくれる。それぞれの責任において、こうした機会を無駄にしないってことが大切ですよ。
「自足」すること
──今回のコロナの経験を生かしていくには、どうしたらいいでしょうか。
養老 生きるってことや、自分にとって、本当に大切なものは何かということについて、しっかり考えてみることが必要ですね。
だから、僕は最近「自足(じそく)」が大切だって言っている。仏教では「足(た)るを知(し)る」と言いますよね。それはいろんな意味をふくんでいますけど、自分にとって大切なもの、必要なものを自分で発見しなきゃいけないんです。それは他人に頼んでもだめ。自分のことなんだから。お金をいっぱい儲けて、3分だけ宇宙に行って帰ってくるとか、そんな生き方を本当にしたいのかっていうことですよ。
──自分に必要なものって、考えてみればそんなに多くないんですね。
養老 最近、作家の佐藤愛子さんが、『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(小学館)って本を出されましたが、あれが「自足」の典型ですね。あの人、北海道に別荘を建てたんだけど、途中でお金が足りなくなって、家がちゃんと作れなかったんだね。だから床や内壁なんかも未完成なんだけど、本人は満足しているんだよ。自足することが、自立した生き方につながっていくし、そうであれば生きそびれるということもない。
──夏目漱石についても、ご著書でよく言及されていますが、漱石の言う「自己本位」にも通ずるものがありますか。
養老 漱石は、文学論を書こうと思ってイギリスに留学するんですが、大学の講義に出ても、なんの参考にもならないと思った。それで悩んだ末に、結局、自分で考えるしかないってことに気がつくんですね。
それが「自己本位」であり、「自足」するということだよね。漱石は、そのとき初めて自立したんです。学問ってそういうもので、自分で考えてつくっていくしかないんです。
「学び」は「真似び」
──よく「個性が大事」と言われますが、その言葉に縛られて、逆に自分を見失っている若者も多いように思います。
養老 日本の古典芸能は、その辺をよく分かっていて、どうするかというと、弟子に対して徹底的に師匠の真似をしろと教える。それで10年以上やって、どうしても師匠の真似ができないところが出てきて、そこで初めて個性を発見するんだよ。
真似しようと思っても、真似できないところが個性なんだな。本来「学び」とは「真似(まね)び」であって、個性が欲しけりゃ真似てみることだ。真似もしないで個性なんか分かるわけねえよってことです。
──「自分が、自分が」という考え方を改めることが大切だと。
養老 若い人が必要としているのは承認欲求が満たされることで、そのひとつの例がユーチューブですよ。つまりインターネット上で、人から「いいね」をもらうことに価値があるっていう。だけど、それ僕はあんまり勧めたくないね。
自分の存在価値をどういう所で感じるのかと言ったら、やっぱり、自分が身を置いている共同体の中ですよ。その中で、ある程度の安定した地位を得て、人や社会のために自分は何ができるかを考えていくことが、生きがいや幸せにつながっていくんです。
「神聖な雰囲気」を求めて
──いま、多くの人が生き辛さを感じていますが、その背景には、自然との一体感を見失ってしまったこともあるように思います。
養老 環境をそう作っちゃったからね。東京なんか典型でしょ。僕はよく言うんですよ、いまの自分の体を作ったものは、どこから来たのって。全部田んぼや畑、海から来たものでしょ。都会に住んでいると、その感覚はもうないよね。
「環境」という言葉には、「自分を取り巻くもの」っていう定義があって、環境というものを立てると、自分はそこから分離したものになってしまう。つまり、自分は環境や自然といったものから独立した存在だって考えちゃうんだね。
そうじゃなくて、自然と自分は別のものではなく、完全に地続きだっていう感覚を育てていかなくちゃいけない。だから僕は、できるだけ自然に触れろって言っているんです。
──日本人は八百万(やおよろず)の神を敬い、アニミズム(*2)の文化を持っていますが、それが失われてきているということでしょうか。
養老 いや、そういうものは消せないし、本当に消せないものはいつまでも残っていますよ。僕、鎌倉に住んでいますけどね、観光客が大勢来るんです。なぜ来るかっていうと、鎌倉は神社仏閣が多いでしょ。だから、その宗教的な雰囲気を求めて来るんですよ。若い人はパワースポットとか言うじゃない。
──若者も、神聖な雰囲気を求めているんですね。
養老 必要なんですよ。昔、西行(さいぎょう)(*3)が伊勢神宮で、「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠んだ。西行って、素直な歌を詠む人ですから、それを理屈で言わずに見事に一言で言っているよね。
「自然とは答えだ」
──「自然とは答えだ」という言葉を、ご著書でも使われますね。35億年という時間をかけて自然が出した答えを目にしていると思うと、見る景色が変わってきます。
養老 みんな、そう思ってないところがあるんだよね。いまは自然が消えて、人の世界だけになり、世界が半分になっちゃった。よくいじめが問題になるけれども、僕らのころはいじめがあっても、まず死ぬやつはいなかった。なぜかって言えば、いじめがあっても、山や川に行ったりすれば消えちゃうんでね。人間の相手ばっかりしているから、いじめが重くなっちゃう。いじめが自然の欠如と関係があるってことは、かなり前から議論しています。
──山梨県道志村の「一般社団法人 養老の森」の顧問もされていて、未来を生きる子どもや若者へのあたたかい眼差しを感じますが、新しい時代を切り開いていく彼らに、メッセージをお願いします。
養老 いまは子どもが成人の予備軍になってしまって、思う存分遊ぶ時間もない。子どもの時というのも、人生のなかの大切な時間だと僕は思っているので、子どもが幸せに生きられるような社会にして欲しいですね。
若い人たちに伝えたいのは、たとえ失敗してもいいから、なんでも自分のためだと思って、本気で取り組むということ。よく「自己実現」とか言いますけど、人生の意味は、他者や社会との関係の中でしか生まれてこないものなんです。
それを忘れることなく、自分にとって本当に大切なものは何かということを深く見つめ、「自足」していくことで、幸せな人生を歩んでいってもらいたいですね。
*1 不安や苦痛の原因となる観念や記憶を、無意識に留めようとする心の働きのこと
*2 すべてのもののなかに、霊魂もしくは霊が宿っているとする考え方
*3 平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶、歌人