イラスト/ろぎふじえ

イラスト/ろぎふじえ

 日本国憲法の施行から70年経った2017年、NHKは憲法に関する世論調査を行ないました(*1)。その結果によると、憲法改正が必要だと考える人は43%おり、そのうちの12%は「アメリカに押しつけられた憲法だから」改正した方がいいと考えていました。

“押しつけ憲法論”と同様の主張は、自主憲法制定を目指す自由民主党にも見られます。同党が2012年に公表した『日本国憲法改正草案Q&A(増補版)(*2)』には、「現行憲法は、連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものです。日本国の主権が制限された中で制定された憲法には、国民の自由な意思が反映されていないと考えます」(2頁)と記されています。

 このような“押しつけ憲法論”に問題はないのでしょうか? 本連載の「日本国憲法ができるまで」からの内容を振り返り、検証してみます。

“押しつけ憲法論”の原点は、日本政府の最初の憲法草案(松本烝治案)がGHQに受諾されず、代わりにGHQが作成した憲法草案が示され、日本政府はその草案を受け入れざるをえなかったという事実にあります。しかし、GHQが草案を作成したのは、日本に履行義務があるポツダム宣言の要求を政府案が満たしていなかったからでした。つまり、ポツダム宣言で基本的人権の尊重と国民主権の採用が求められていたにもかかわらず、政府案では明治憲法同様、天皇の統治権はそのままに、国民の人権を法律で制限できるようになっていたのです。これは、日本政府の認識不足が招いた事態でした(*3)。

 では、GHQ案を元に制定された日本国憲法には、やはり「国民の自由な意思が反映されていない」のでしょうか?

 まず、GHQ案には、在野の憲法史研究者・鈴木安蔵を中心とする憲法研究会の草案に盛り込まれていた国民主権、労働者保護などの民主主義的な条項が採用されました。鈴木安蔵は自由民権運動を研究し、大正デモクラシーの指導者・吉野作造の影響を受けていたので、GHQ案のなかには日本で育まれた民主主義思想が含まれていたと言えます。さらに遡れば、ポツダム宣言の起草に関わった米国陸軍長官のスティムソンは大正デモクラシー時代の政治家を通して日本に民主主義的傾向があることを知っていました。それゆえに、ポツダム宣言で、日本の「民主主義的傾向ノ復活強化」が要求されたと考えられるのです(*4)。

 一方、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を謳う9条は、「マッカーサーノート(マッカーサー3原則)」の提示によって強制的に規定させられたかのように見えます。しかし、マッカーサーノートがつくられるにあたっては、当時の首相・幣原喜重郎がマッカーサーに対して戦争放棄を憲法に盛り込むよう提案したという見方が有力になっています(*5)。

 この他、本連載では、日本国憲法には議会での審議において日本人みずからの手で立憲主義の最先端の理念である「生存権」が盛り込まれたこと(*6)、日本国憲法を日本国民の多くが歓迎したこと、日本政府は極東委員会から憲法の再検討を示唆され、国民の間では自発的な憲法改正の動きが起きたにもかかわらず、みずからその機会を見送ったことを紹介しました(*7)。

 こうして振り返ると、憲法が“押しつけられた”“国民の自由な意思が反映されていない”と断ずる“押しつけ憲法論”には、明らかに無理があることがわかります。(了)(生長の家国際本部国際運動部講師教育課)

*1=「世論調査 日本人と憲法2017」(NHK NEWS WEB)https://www3.nhk.or.jp/news/special/kenpou70/yoron2017.html(2018年9月16日アクセス)
*2=自由民主党憲法改正推進本部著『日本国憲法改正草案Q&A(増補版)』http://constitution.jimin.jp/faq/(2018年9月16日アクセス)
*3=『いのちの環』5月号、pp.38-39 同誌6月号、pp.34-35
*4=同誌7月号、pp.34-35 同誌8月号、pp.34-35
*5=同誌9月号、pp.34-35
*6=同誌10月号、pp.36-37
*7=同誌11月号、pp.36-37