日本国憲法は第二次世界大戦の悲惨な体験を踏まえ、三大原則のひとつとして「平和主義」をうたっています(*1)。
前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し」と示されているように、二度と戦争を起こしてはならないという強い決意が、日本国憲法には込められているのです。
そのため、憲法9条は徹底した戦争否定の態度を打ち出しています(*2)。その1項では、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇(いかく)」「武力の行使」の3つが放棄され、続く2項では、1項の目的を達するために、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」とされています。
これ以外にも日本国憲法には、顕著な「平和主義」の理念が書き込まれています。それは、前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という文章です。
中でも重要なのが、「平和のうちに生存する権利」という言葉です。なぜなら、恐怖から免(まぬが)れる権利を「自由権」、欠乏から免れる権利を「社会権」とするならば、「平和のうちに生存する権利」はすべての基本的人権を可能とする基礎条件と考えられるからです(*3)。
戦争は人類最大の人権侵害行為です。戦争の中では、個人が自由な意思を持ち、自由に行動することなどできません。兵士はもちろん、その家族の暮らしや生命までもがおびやかされることになります。そして、戦争によって最も大きな苦しみを受けるのは、結局は国民なのです。
そこで、世界的にも平和と人権とは互いに不可分なものと考えられてきました。例えば、国連の「世界人権宣言」(1948年)の前文では、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲(ゆず)ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と述べられています(*4)。
日本国憲法は、これを憲法上の権利としてはっきりと規定しました。しかし、この権利は他の基本的人権とは異(こと)なり、日本一国の意思で保障されるものではありません(*5)。そこで、日本国憲法前文では、「日本国民は、恒久(こうきゅう)の平和を念願し、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と示されています。これは、1945年に設立された国際連合への信頼に基づく言葉とされています(*6)。
つまり、日本国憲法はその前文において明確な国際協調主義を打ち出しています。日本国民の平和と安全は、日本国家による国際平和の形成・維持の努力──すなわち平和構想の提示や、国際的な紛争(ふんそう)・対立の緩和(かんわ)など、世界平和の実現に向けた積極的な行動によってこそ保障されるという確信を表明しているのです(*7)。
また、先に引用した憲法前文の中で、「平和のうちに生存する権利」は日本国民だけでなく、「全世界の国民が、ひとしく」有するものとされていることも見逃してはなりません。日本国憲法は、一国の平和を希求するだけでなく、グローバルな視野に立ち、全世界の国民が協力して世界平和を実現することを志向しているのです。
参考文献
- 芦部信喜著『憲法 第六版』(岩波書店、2016年)
- 佐藤幸治著『日本国憲法論』(成文堂、2016年)
*1=芦部信喜著『憲法 第六版』岩波書店、p.54
*2=同書、同頁
*3=佐藤幸治著『日本国憲法論』成文堂、p.81
*4=外務省「世界人権宣言(仮訳文)」http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html(2017年12月19日アクセス)
*5=『日本国憲法論』、p.82
*6=『日本国憲法論』、p.78
*7=『憲法 第六版』、p.56