A 立憲主義がなければ、「多数者の専制」から少数者の人権を守り、独裁政治を防ぐことができないからです。
安倍首相は「民主主義に立憲主義は不要(*1)」だと考えています。しかし、この考え方には大きな問題があります。
「『民主主義』とは、国民全体を一人が支配する『君主制』や、少数者が支配する『貴族制』あるいは『寡頭(かとう)制』ではなく、多数者が支配することです。(*2)」こうした民主主義の下で、時として多数者が少数者を抑圧することがあります。たとえば、独立直後のアメリカは、民主政治の徹底を唱える急進派の代表が州議会の多数を占め、小農民や債務者に有利な立法を行なったため、債権所有者や経営者の権利を侵害していました。
こうした事態は「多数者の専制」と呼ばれ、多数者が自分たちの利益だけを追求し、少数者を抑圧してもいいと考えるときに起きます。そこでアメリカでは、立法・行政・司法を分立させ、さらに多数者の意思を背後に持つ立法府(議会)を上院と下院に分ける権力分立制を憲法で定めました。つまり、「多数者の専制」から少数者の人権が守られるよう、憲法によって権力を制限したのです。これは、民主主義の下でも立憲主義は必要だということを意味します。「したがって、『民主主義に立憲主義は不要』という安倍首相の考え方は、立憲主義の本質を無視したもの(*3)」だと言えるのです。
民主主義に立憲主義を組み合わせた「立憲民主主義」の下では、過半数の賛成による単純多数決では憲法を改正することができないようになっています。「多数者の専制」から少数者の自由や権利を守るためです。しかし、安倍首相は、第96条で「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」が必要とされる改正要件を「過半数」に引き下げたいと述べました。
この発言の背景には、「多数派が支配的に振る舞ってよいと考える『絶対民主主義』の思想(*4)」があります。これは、戦前のドイツや日本で大衆に支持されつつ行われた独裁政治に通じる大変危険な考え方なのです。
*1 生長の家総裁・谷口雅宣監修『“人間・神の子”は立憲主義の基礎 ──なぜ安倍政治ではいけないのか?』28ページ。生長の家刊
*2 前掲書、34ページ
*3 前掲書、36ページ
*4 前掲書、39ページ