自宅の一室で制作に没頭する河合さん。おすそ分けのスイカやキュウリを前に

自宅の一室で制作に没頭する河合さん。おすそ分けのスイカやキュウリを前に

河合智暉(かわい・ちあき)さん│83歳│京都府舞鶴市
取材/原口真吾(本誌) 写真/遠藤昭彦

 河合智暉さんは、60歳で定年を迎えてから70歳まで老人ホームで働き、退職後、「これからは趣味に生きよう」と思った。しかしそのとき、これといった趣味を持っていないことに気がついた。

「何か趣味にできるものはないかなと探していたら、地域の情報誌に絵手紙教室の案内が載っていて、何の気なしに参加したのが絵手紙との出合いでした」

 それまで絵とは無縁だったが、絵手紙ならできるかもしれないと思い、顔彩(固形絵具)を買い求めて教えられるまま絵手紙を描いた。しかし、思うような作品が描けずに落ち込んだ。

妻の百合子さんに宛てた、感謝の絵手紙を手に

妻の百合子さんに宛てた、感謝の絵手紙を手に

「最初は緊張で手が震えて、筆を下ろすことさえなかなかできませんでした。勇気を出して描き始めても、さっぱりな出来栄えでがっかりしました。“下手で良い、下手が良い”と言われましたが、素直にその言葉を受け入れられませんでした」

 上手く描けたところも、そうでないところも全部が自分の持ち味だと考えられるようになったのは、何年か過ぎた頃だった。

「諦めたというか、上手く描こうという力みがなくなったんですね」

 本誌の「絵手紙ぽすと」欄に投稿し始めてからは、さらに絵手紙の楽しさを強く感じるようになった。

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「パカッと割れたザクロの実の美しさに惹かれて、明るめに彩色した絵手紙を投稿すると、思いがけず掲載されました。選者からの温かいコメントも添えられていて意欲が湧き、今も投稿を続けています」

 生長の家の「人間は神の子で、完全円満である」という教えに触れたのは、17歳の頃のことだった。中学校を卒業して同じ会社に就職し、昨日まで冗談を言い合っていた同級生が自ら命を絶ち、そのショックからうつ状態になった。家に引きこもり続けるのを見かねた両親から、生長の家の道場に行って相談するよう勧められた。

百合子さんが手塩にかけて育てた花が、絵手紙のモチーフになることも多い

百合子さんが手塩にかけて育てた花が、絵手紙のモチーフになることも多い

「長村婦美子・生長の家長老(故人)に苦しい胸の内を話すと、優しく受け止めてくれた後、『今日は泊まっていきなさい』と言われました。言われるままに泊まり、練成会*1に参加していた皆さんと一緒に朝4時に起きて神想観*2を行じ、聖経*3を誦げました。ただそれだけでしたが、帰る頃には、なぜか心がすっきりしていたんです」
*1 合宿して教えを学び、実践するつどい
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 生長の家のお経の総称

 そして帰りのバスに乗ると、車中から見える景色が一変していた。

「山や川、田んぼなど見るものすべてが光輝いて見えたんです。長村先生を始め、道場の方々の篤い信仰心によって自分の心が浄められたのだと思いました。心が嘘のように明るくなり、うつの症状がすーっと消えてしまったんです」

顔彩を水で溶き、彩色していく。「心が明るくなるような絵手紙にしたいと思い、実際より少し明るめの色合いに調整しています」。自室の壁には、これまで制作した作品の数々が飾られている

顔彩を水で溶き、彩色していく。「心が明るくなるような絵手紙にしたいと思い、実際より少し明るめの色合いに調整しています」。自室の壁には、これまで制作した作品の数々が飾られている

 以来、誌友会*4などに参加して教えを学ぶようになって、仕事はもとより、出会う人すべてを神の子として拝む生活を続け、定年まで勤め上げた。その心は絵手紙にも生き、描くために花をじっくり観察すると、花も人と同じ神のいのちを生きていることを実感するという。
*4 教えを学ぶつどい

「自然も人間も同じいのちを生きているから、花が持つ生命の美しさを感じることができるんですね。その美しさを表現したいのですが、とても描ききれるものではありません」

近所でサルスベリの花を見つけ、カメラに収める。「自然の微細な造形は、とても表現しきれません」

近所でサルスベリの花を見つけ、カメラに収める。「自然の微細な造形は、とても表現しきれません」

 絵もそこに添える言葉も、対象となるものに出合ったそのとき、感じたことを素直に表現するよう心がけている。

「そうやって絵手紙を描くことで、今まで意識していなかった自然の美しさに気がつくようになりました。あれこれ考えてしまうと“我”が出て、面白くなくなるんですね。いのちといのちが響き合うその瞬間を感じ取って、絵手紙に表現したいと思います」