日々、神想観を実修して、神の御徳に導かれた日々を送りましょう

 

神や実相を思い描く

 
 瞑想は、最近では企業の社員研修や、スポーツチームのトレーニングの一環として採用され、社会的にも受け入れられています。その背景には瞑想を行うことで集中力が養われたり、免疫力が向上したりと様々な効果が認められていることがあります。ただ、瞑想と言っても様々で、そのやり方も多種多様です。

 では、生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観はどのような瞑想でしょうか。神想観とは、神と神が創られた実相世界を思い描く瞑想法です。生長の家では、善一元(ぜんいちげん)の神と、その神が創り出した実相世界のみが本当にある実在の世界であり、五官でとらえている現象世界は、私たちの心が現し出した仮の世界で、本来無いと教えています。

 実相とは、絶対善なる完全円満な世界であって、私たち人間も本質においては神の万能性を宿した完全円満な存在だとして、生長の家では「人間は神の子である」と言います。つまり、神想観は、「人間・神の子」を思い描く瞑想でもあるわけです。

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善なる心を現し出す

 
 しかし、実相のみ実在しているのが世界の本当の姿だとはいえ、現実の世界に目を向けると、犯罪や戦争、いじめなどのニュースが毎日のようにテレビで放送されています。そのため、「実相世界は本当にあるのだろうか」「神の子の姿を思い描けない」と考える方がいらっしゃるかもしれません。

 しかしその一方で、犯罪や戦争やいじめなどのニュースを見ると、多くの方が辛くいたたまれない気持ちになり、その一方で、四季折々の自然の美しさを目の当たりにすると、それらを美しいと感じるのは何故でしょうか。それは人間は神の子であり、良心と言われる善なる心や、美しいものを美しいと感じる心が本来備わっているからです。

 ぜひ神想観を実修し、実相や人間・神の子の姿を思い描きましょう。心で認めたものが現れるというのがこの世の法則です。神想観を実修することで心が整い、神の御徳(おんとく)に導かれた幸せな日々が実現していきます。
(興梠康徳・生長の家本部講師補)
 


 

手記|
日々の神想観で自覚した「そのままの自分」の素晴らしさ

 

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撮影/永谷正樹

柳田真由美(68歳) 京都府宇治市

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 以前の私は、生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観に、苦手意識がありました。正座による足の痛みや、合掌を続けていると起こる腕のだるさのせいで、神想観に集中することがなかなかできなかったからです。

 そんな苦手意識を克服したいと思い、令和2年4月頃から、私の所属する京都第一教区の白鳩会*1の皆様と、神想観を各自がそれぞれの家で早朝の同じ時間に毎日行う取り組みに参加しました。

 朝5時半から開始とのことで、早起きが苦手な私に毎日続けられるのか、最初は不安でした。しかし、神想観に同時に取り組んでいる白鳩会の皆様と、神様を通じてつながっていることを思い浮かべながら祈っていると、安心感で心が安らぐようになりました。

 すると、多少の足の痛みや腕のだるさは不思議と気にならなくなったのです。今、神想観をしているのは私一人じゃない、みんなと一緒なんだと思うと、内なる無限力が溢(あふ)れてくるように感じました。

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毎朝、神想観を実修している(撮影/永谷正樹)

 そして、ご縁のある人たち一人ひとりへの感謝と幸せを願う言葉を「○○さんありがとうございます、○○さんが幸せでありますように」と、神想観中に繰り返し心の中で唱えるようにしました。

 コロナ禍でなかなか会うことができずに孤独感が深まる日々だったので、神想観を通じて皆様とつながることが心の大きな支えとなりました。

大好きな義母に寄り添う

 
 大好きな義母との最期の時間を穏やかに過ごせたのも、毎朝の神想観のおかげだと実感しています。

 私は、24歳の時にお見合いで主人と出会い、結婚しました。結婚の決め手は主人の優しさと、主人の両親である義父と義母の人柄の良さでした。

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夫の潔さんと。潔さんが毎日ボランティアで掃除を行っている許波多(こはた)神社で(撮影/永谷正樹)

 特に義母は、実の娘のように私を可愛がってくれました。料理や掃除、洗濯などの家事を私がするたびに「おいしいね」「きれいにしてくれてありがとう」と笑顔で褒めてくれました。

 私は生みの母を10歳の時に亡くし、1年後に父が再婚しました。その継母から生長の家を伝えられましたが、義母もこの教えを信仰していました。

 私が多感な時期の再婚だったので、継母とは親密にはなれなかったのです。その心の穴を埋めてくれるかのような義母の優しさには、とても救われました。

 そんな義母も、高齢になると車椅子生活となり、介護が必要になってしまいました。教区の皆様と毎朝続けている神想観中に義母から、トイレに行きたいなどと、呼ばれることがよくありました。

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「神想観のおかげで、毎日を明るく元気に過ごせています」(撮影/永谷正樹)

 神想観中に呼ばれると、集中が途切れてしまうので、悩んだ末に、令和2年9月から義母と毎朝一緒に神想観に取り組むことにしました。

 生長の家が大好きな義母なので、私が「おばあちゃん、一緒にやろうね」と声をかけ、枕元で招神歌(かみよびうた)*2を唱え始めると、義母も自然と手を合わせて合掌してくれました。

 神想観中は、不完全な現象の奥にある完全円満な義母の実相*3を観るようにしました。そして、長年愛してくれた義母への感謝を「素晴しい神の子アイ子さん、ありがとうございます」と繰り返し唱え、優しい笑顔の義母の姿を思い浮かべながら祈りました。

 そうやって二人で神想観を毎朝行っていると、介護が必要になってからは暴れたり、癇癪を起こしてしまうことがあったのが嘘のようになくなり、元の優しく穏やかな義母に戻ってくれました。

 私も、介護の時間を大好きな義母に寄り添ってあげられる大切な時間だと、前向きに考えられるようになりました。そして令和3年8月に、義母は95歳で孫やひ孫に看取られながら、穏やかに息を引き取りました。

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神想観を暮らしに取り入れる

 
 神想観を毎朝行うようになってからは、この行(ぎょう)はもう生活の一部となりました。前日に嫌なことがあったり、未来に不安があったりしても、早朝に手を合わせて神想観を行い、現象の奥にある神様が創られた完全円満な実相世界を観るように努めると、「あなたは完全円満な神の子で、絶対大丈夫だよ」と神様が言ってくれているように感じられるのです。

 すると、頭を占めていた悩み事は現象の仮の姿で、現実には起こらない幻想であることがわかり、波一つない穏やかで澄み切った湖面のような心になります。

 そして、そのままの心で『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)に前日にあった良かったことを書くと、神様と周りの方々への感謝の気持ちが溢(あふ)れてくるのです。

「今日もいい日だ、健康だ、幸福だ、豊かだ! ありがとうございます!」と感謝を声に出して、朝から活発に行動することができるようになりました。

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 余裕がある時は、寝る前に5分から10分ほど神想観を行うようになりました。寝る前の神想観では、周囲の方々の顔を思い浮かべながら、「今日も皆様のおかげで幸せな一日でした。ありがとうございます」と心の中で繰り返し唱えます。

 感謝の神想観を行ったあとに布団に入ると、ストンと眠りに落ちて、翌朝もすっきりした心地で目覚めることができるようになりました。以前は、寝る前にその日あった嫌なことなどを何度も思い返してしまい、なかなか眠りにつけず、翌朝もすっきり目覚めることができずにいたのです。

 また以前の私は、常に劣等感に苛まれ、自信がありませんでした。実家の継母からはあまり褒められたことがなく、欠点を指摘されることの方が多かったからだと思います。

 しかし、神想観を続けて神様とのつながりを深め、私も神の子なんだと思えるようになると、そのままの自分を肯定できるようになってきたのです。苦手だった神想観を継続できたことも、自信につながったと実感しています。

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 神想観を続けているおかげで、過去の後悔や悲しみ、未来への不安に惑わされることなく、完全円満な実相世界を観られるようになりました。そして、以前は感謝出来なかった継母や、周りの方々への感謝の思いが溢れてきて、心からの感謝が出来るようになりました。

 これからも、神想観を続けることで神様と波長を合わせて心を清め、毎日を明るく元気に過ごしていきたいと思っています。

*1 生長の家の女性の組織
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法である神想観実修の時に唱える神をよぶ歌
*3 神によって創られたままの完全円満なすがた