Q 私たち夫婦は80歳を過ぎ、58歳で独身の一人娘と暮らしています。質問は故人の供養についてで、私たち夫婦が他界した後は娘が供養してくれると思いますが、娘が亡くなってからは供養してくれる人がいないので心配です。亡くなった後、供養されないと、その人は救われないのでしょうか。我が身を案じています。(A子・82歳)
今の時代、あなただけでなく、このようなことを心配される方は多くいらっしゃると思います。こういった悩みの根本的な問題は、私たちは亡くなった後、供養をしてもらわないと困るのか、幸せに過ごせないのか、ということです。
『新版 人生を支配する先祖供養』(生長の家創始者・谷口雅春編著、日本教文社刊)には、先祖供養の意義として「第一義的には、人間は神の子である。神の子はそれ自身で完(まっ)たい。外から何物かを附け加えてもらうことによって初めて完全になるようなものではない。──これが第一義的真理である。(中略)神性を自覚した霊にとってはどんな形式によっても祀(まつ)ってもらう必要はないのである」(24ページ)と教えられております。
また、生長の家では「この世から霊界に移るというのは、こちらの部屋から、襖やドアで隔てただけの隣りの部屋に行くようなものである」と説いています。
そして、現世というこの世で、感謝の心、喜びの心、安心の心、明るい心に満たされていると、その心は隣りの部屋(霊界)に移っても同じように続くのです。同じ原理で、イライラしたり、悲しんだり、不平不満の心のまま隣りの部屋へ移れば、その心が続いてしまいます。霊界も現象界(心が現す世界)ですから、今生きている世界と同じように、心次第の世界なのです。
「供養してもらえないことは不幸なことである」というのが心配の元になっているのであれば、生長の家の教えで説かれている「人間・神の子」の真理を学び、現世のうちから安心と悦びと感謝の生活を送って下さい。そうすれば、現世を終えて霊界へ移行した後も安穏な世界が続くと信じられ、供養をしてくれる人があるかどうかで、不安に思うことはなくなります。
宇治別格本山*の永代供養は、ご係累に供養してくれる人がいなくても、未来永劫に丁寧な供養をして頂ける安心な方法です。ご検討をお勧めします。
* 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*回答者 榎本一子
生長の家本部講師補。生長の家宇治別格本山で、真理を求める人たちの指導に当たっている。
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