A GHQの憲法草案に影響を与えた、民間グループの憲法草案がありました。
本欄では2回にわたり、連合国総司令部(GHQ)が日本政府による憲法改正に見切りをつけ、憲法草案作成へと動きだした経緯を追ってきました。では、戦後の日本は、民主的な憲法を自力では作れなかったのでしょうか。
最も先進的な憲法草案
じつは終戦後、日本政府の憲法問題調査委員会に名を連(つら)ねた権威ある憲法学者たちが、「天皇の統治権(とうちけん)」を規定した明治憲法の改正に否定的だったのに対し、最も先進的な憲法草案を提案した「憲法研究会」という民間グループがありました。「国民主権」と「国家の儀礼的存在(ぎれいてきそんざい)としての天皇」を規定した憲法研究会の「憲法草案要綱」が、1945年12月28日に新聞紙上で発表されると、GHQは直(ただ)ちに翻訳しています。
GHQにおいて明治憲法を分析・研究し、のちに憲法草案作成の運営委員の一人となるマイロ・E・ラウエルは、とりわけ憲法研究会案に注目し、翌年(1946)1月11日、詳細な所見をGHQに提出しています。その中で、同案の諸規定を「著(いちじる)しく自由主義的」と高く評価し、「この草案に盛られている諸条項は民主主義的で、賛成できる」と結論づけています。ラウエルの所見は、憲法草案作成を指揮したGHQ民政局長のホイットニーをはじめ、組織内で共有されていました。
後年、ラウエルは、「民間の草案要綱を土台として、いくつかの点を修正し、連合国最高司令官が満足するような文書を作成することができるというのが、当時の私の意見でした」と回想しています。(塩田純著『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』NHK出版、56ページ参照)。
GHQ草案と憲法研究会の草案には類似した点が多くみられることは、早くから指摘されていましたが、その後、「ラウエル所見」の発見によって、憲法研究会案がGHQに大きな影響を与えたことが確認されました。
次回は、憲法研究会がどのようなグループだったのかを見ていきます。