Y.M. 茨城県出身、山梨県在住。平成21年8月、22歳で入籍。現在、夫と6歳の娘、5歳の息子との4人暮らし。娘に作ったスタイをきっかけに裁縫にはまり、布小物作家として活動している。趣味は作ること。作れるなら何でも手作りしたいと言う。生長の家地方講師。

Y.M.
茨城県出身、山梨県在住。平成21年8月、22歳で入籍。現在、夫と6歳の娘、5歳の息子との4人暮らし。娘に作ったスタイをきっかけに裁縫にはまり、布小物作家として活動している。趣味は作ること。作れるなら何でも手作りしたいと言う。生長の家地方講師。

 私は公務員の寡黙な父と、植物が大好きな母、9歳上の優しく器用な兄、そして7歳上のしっかり者の姉がいる3人きょうだいの末っ子として、のびのび育ちました。いつも元気いっぱい笑っている子だと、よく言われていました。母が生長の家の教えに触れたのは私が幼い頃のことで、新聞の広告で生長の家のことを知り、教化部(*1)に行くようになったそうです。私は母親教室(*2)に参加する母によく付いて行き、小学生練成会(*3)にも一度参加しました。

 高校1年生の時は、冬休みに母の勧めで高校生練成会に参加しました。講話では「人間は神の子、無限力がある」「感謝の気持ちが大切」と教えていただき、運営の青年会(*4)の皆様が優しくて、とても居心地がよかったのも印象的でした。「いい人ばかりだなぁ、私もこんな人になりたいなぁ」と思い、生長の家の行事に参加するようになりました。青少年練成会で出会った仲間と楽しく誌友会(*5)を開催したり、新聞を作って配ったりしました。

 そして高校3年生の時に参加した青年会全国大会で、山梨県の河口湖に養心女子学園(*6)という生長の家の専門学校があることを知りました。生長の家が大好きな私は「楽しそうだな、いつか行きたいな」と思いました。

 その頃は進路について悩んでいて、練成会を運営する方々のような心に寄り添える人になりたいという思いが湧いてきました。そのために専門的な知識を学びたい思い、大学で心理学を勉強したいと考えるようになりましたが、受験に失敗してしまったのです。その時、養心女子学園でも心理学が学べることを知り、進学を決めました。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 養心女子学園では2年間寮生活をしながら、生長の家の教えだけでなく、学びたかった心理学に加えて華道、茶道、書道、服飾、礼儀作法などの授業もあり、とても勉強になりました。

 養心女子学園の隣が生長の家富士河口湖練成道場(*7)だったため、道場の講師が講話に来てくれました。その中で宮本十郎講師が「子どもは5人産みなさい」とよく話され、私は素直に「5人産むなら早く結婚したいな」と考えるようになりました。また、主事の先生から誕生日にいただいた『女は愛の太陽だ』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。現在品切中)という本が大好きで、この書名のように、いつも笑顔で明るく過ごしたいと思いました。そして、私の伴侶となる魂の半身(はんしん)さんと、いつ出会えるのかなと思いを巡らせていました。

 卒業後は東京・原宿にある生長の家本部(*8)に勤め、高校生の時に取得した簿記検定の資格を生かせる部署に配属されました。その頃に、当時趣味だった野球観戦で知り合った男性と、お付き合いをはじめました。(つづく)

*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 母親のための生長の家の勉強会
*3 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*4 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*5 教えを学ぶつどい
*6 生長の家の全寮制の専門学校。現在は休校
*7 山梨県南都留郡富士河口湖町にある生長の家の施設
*8 2013年に山梨県北杜市に移転