甘い言葉につられ、ヤクザの会社に
私は実業家を志す父と、生長の家を信仰する母の間に生まれました。父は何度もさまざまな事業に手を出しては失敗し、母の父に建ててもらった家まで騙(だま)し取られ、私たち一家は母の実家に身を寄せて暮らすようになりました。
一方、母は私にいつも「あなたは素晴らしい神の子なのよ」と声をかけてくれる人でした。しかし、教育熱心で家庭教師を付け、無理矢理勉強させるようなところがあって、私は次第に母にも反発し、中学生の頃から不良となって暴走族と付き合い始めました。いま考えれば、父のような弱い男にはなりたくない、厳しい母を困らせたい、という私の心の現れだったのではと思うのです。
高校に入学すると、親にねだって買ってもらったバイクで暴走行為を繰り返し、何度も停学処分を受けました。そんな私の姿を見て泣いている母や祖母のためにも、生活を改めなくてはと思うのですが、暴走族グループからは逃げるに逃げられず、3年になったとき、ついに退学処分になってしまいました。
事ここに至って、ようやく反省した私は、18歳で暴走族から身を引き、建設業を営む母の実家で働き始めました。そして、定時制の高校に入り直し、無事に卒業することができました。ところが、社長の孫ということもあってわがままし放題だったので、他の社員から嫌われる存在でした。
皆から「あいつとは一緒に仕事をしたくない」と言われるようになって、関連の製材工場に移らざるを得なくなり、仕事が終わると、昔の暴走族仲間と連れ立って夜の街をうろつくようになりました。
そんな中、ヤクザ業の傍ら建設業を営む人と知り合い、甘い言葉をかけられて、その人の会社に移ってしまったのです。ところが、いざ入ると何かあるたびに殴られ、夜中まで仕事をさせられるような毎日になりました。嫌になって休んだりすると家に乗り込んできて、現場に引きずり出される有様(ありさま)でした。
妻から離婚を申し出られて
怖くて辞めるに辞められず6、7年続けるうちに、それなりに仕事を覚えて一人前になりました。すると欲が出て、「独立して自分で新しい仕事をしたい」と思うようになった頃、社長が始めた右翼団体の上位組織である暴力団の組員が、社長に話をつけてくれました。
なんとか独立はできたものの、夜は組員が運営する運転代行会社で、表向きの社長を任されることになったのです。夜中に突然、暴力団の幹部から電話がかかってきて、「今から迎えに来いや!」と呼び出されるという理不尽なことも、一度や二度ではありませんでした。
この間、22歳のときに結婚して2人の子どもにも恵まれたのですが、ヤクザから頻繁に電話がかかってくるため不信感を募らせた妻から、離婚を言い渡されてしまいました。
復縁するも再び妻子が家出
仕事と家庭不和のストレスに耐えきれなくなった30歳の頃、私はついに母に泣きつきました。すると開口一番、「生長の家宇治別格本山*1の研修生になって教えを学びなさい」と言われたのです。
*1 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
あまりに切羽詰まっていたため、反発していた母の言葉を受け入れるほかありませんでした。妻との離婚を承諾して、建設会社も畳み、運転代行会社についても後任を見つけ、身辺を整理した後、心機一転して出直そうと、京都の宇治市にある宇治別格本山に行き、研修生に交じって生活するようになりました。
とはいえ、教えの話を聴いてもよく分からず、ふてくされてばかりいました。しかし、徐々に他の若い研修生たちとも馴染み、「人間は円満完全な神の子である」という教えが心に染みてきて、「生長の家の教えはいいものだ」と思えるようになりました。
ところがまた悪い癖が出て、「何かで一旗揚げたい」という思いが頭をもたげるようになり、手始めに京都の運送会社で働き始めました。その仕事がうまくいって、別れた妻とも復縁することができ、子どもとも一緒に暮らし始めたのですが、やがて「何で俺が他人に使われなければならないんだ」という思いが募っていきました。その挙げ句、研修生のときに覚えた神想観*2や聖経*3読誦もやめて、昔の荒れた生活に戻ってしまったのです。
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 生長の家のお経の総称
愛想を尽かした妻と子どもは再び出て行ってしまい、寂しさから夜の街で遊ぶようになりました。やけになってお金を使ってしまった私は、母に電話してはお金を無心する始末でした。自分でも情けないと思いながら、どうしてもそうした生活から抜け出すことができなかったのです。
神様は全てを赦してくださる
そんな36歳のある日、母に電話し、いつものようにお金の工面(くめん)を頼むと、母から「もうお金は送らない!」ときっぱりと言われました。突然の変わりように驚き、「金をくれないと人から盗んで犯罪者になってしまうぞ」と脅しても、母は「あなたは神様からいのちをいただいた素晴らしい神の子で、あなたは神様そのものだから、すべてのことは神様が責任をとってくださる。だから怒りも苦しみも悲しみも、自分の思いをすべて神様にぶつけてみなさい」と、涙ながらに言うのです。
その言葉を聞いたとき、それまで抑えていた心の鬱憤(うっぷん)が一気に吹き出しました。「何が責任をとってくれるだ! 仕事も家族も失って、一体俺はどうすればいいんだ。俺の人生を返してくれ!」「神様が本当にいるなら出てきて、俺を立ち直らせてくれ」と大声で叫んで荒れ狂い、母に送ってもらった生長の家の書籍を投げて暴れ回りました。
溜め込んでいたものを吐き出してしまうと、なぜか気持ちがすっきりし、「神様はすべてのことを受け止め、赦(ゆる)してくださるんだ」という感謝の思いが湧き上がりました。そして、今まで多くの人に迷惑をかけ、改心しようと思いながらも、立ち直れずに自己嫌悪に陥(おちい)るという悪循環から、ようやく抜け出す決心ができたのです。
これからは神様に生かされるままに生きようと思うようになり、その後、相愛会*4に入り、誌友会*5に参加して教えを学び始めました。すると、自分の勝手で別れた妻や子どもに苦労をかけてきたことが悔やまれて、心から反省しました。
*4 生長の家の男性の組織
*5 教えを学ぶつどい
ある時の誌友会で、事業に失敗して人に家を騙(だま)し取られた父のことを講師に話すと、「お父さんは心の優しい人だ」と諭(さと)され、はっと気づくことがありました。「男の強さとは金と力」と考えていたことが間違いであり、「どんなときも優しさを失わなかった父こそ本当の強さを持った人だった」と思い知ったのです。
それとともに、生長の家を伝えてくれ、私の間違いを正してくれた母にも感謝の思いが湧いたのでした。
人のために祈ることが本当の喜び
その後、再び受けた宇治別格本山の練成会*6で、ある講師から、別れた妻が生長の家の信徒になり、白鳩会*7の人たちに助けてもらっていることを知らされました。私は「生長の家の人たちってなんて愛深いんだ」と、感動の涙が止まりませんでした。それから白鳩会の方を通じて、子どもの養育費を支払うようになり、今も続けています。
*6 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*7 生長の家の女性の組織
現在は生長の家の施設で働きながら、人のために祈ることこそが本当の喜びであり、幸せであることを実感する日々です。