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夫婦二人三脚で、パン屋「ドリアン」を営んでいる田村さんと妻の芙美さん

聞き手/遠藤勝彦(本誌) 写真提供/田村陽至さん

田村陽至(たむら・ようじ)さん(「ドリアン」店主)
1976年、広島県生まれ。祖父の代から続くパン屋の3代目。東京の大学を卒業後、北海道や沖縄で山・自然ガイドを務め、環境教育について学ぶ。その後、モンゴルでツアーを企画。帰国後の2004年、祖父の代から続くパン屋を継承。2012年には、1年半休業してヨーロッパでパンづくりを学び、帰国後、店をリニューアルして現在に至る。再スタート時には、菓子パン、総菜パンの販売をやめて、4種類のパンだけにして経営が好転した。著書に『捨てないパン屋』(清流出版)がある。

「パンを捨てるのはおかしい」
その一言で菓子パンをやめる

 
──食品ロスが大きな問題になっている今、ご著書の『捨てないパン屋』というタイトルは、とてもインパクトがありますね。

田村 「ドリアン」を営んでいて、私が一番誇りに思っているのは、やはり“パンを捨てない”ということです。2015年から今日まで、毎日たくさんのパンを焼きましたが、一つも捨てていません。
ドリアンHP https://derien.jp

 なぜ、「捨てないパン屋」になろうと思ったのかというと、きっかけは菓子パンや総菜パンを作っていた10数年前のことでした。その頃は、売れ残りのパンは捨ててしまう普通のパン屋でした。

 そんなあるとき、私が売れ残ったパンを捨てているのを、当時、わが家にホームステイしていたモンゴル人の女性が見て、「パンを捨てるのはおかしいですよ。捨てるくらいなら安売りしたり、誰かにあげたりすればいいのに」と言われたんです。

「そりゃ俺だって、一所懸命作ったパンを捨てたくはないよ。でも安売りはできないし、人にあげることもできないんだよ」と答えたんですが、彼女は「食べ物を捨てるのはおかしい」と譲らないんです。それで言い合いになって、最後は「今の日本じゃ、そういうことはできないんだよ」と声を荒げてしまったんですね。

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焼き上がったパンを取り出す

 その後、すごく自己嫌悪に陥ってしまい、泣きたい気持ちになりました。彼女が言っていることは正しいからです。

──確かにそうですね。

田村 売れ残ったパンを捨てる方がおかしいと改めて思い直したものの、食中毒に過敏な現代、売れ残った傷みやすい菓子パンや総菜パンを、次の日に売ったり誰かにあげたりはできないわけです。それなら、もう菓子パンや総菜パンはやめるしかないし、あんパンを食べたいなら、自分であんこを挟んで食べてもらえばいいのではと思うようになって、まず菓子パン、総菜パンをやめることにしました。

 それからパン作りを学び直すために、2012年にフランスやオーストリアのパン屋で1年間修業し、帰国後に店を再開したのを機に、パンの作り方を一新しました。材料を厳選し、北海道十勝産の有機栽培の小麦粉だけを使い、天然酵母で何も具の入っていない、固くて大きい、シンプルなカンパーニュとブロン、ブリオッシュ、ライ麦パンの4種類だけにしました。

 この有機栽培の小麦粉は、普通の外国産小麦粉の4倍、それまで使っていた国内産の小麦粉の2倍の値段がしましたが、具材がないため、原価が抑えられるとともに日持ちもよくなりました。

週休3日、1日8時間労働
ゆとりある日々を送る

 
──パン屋さんというと、朝早くから夜遅くまで働く、忙しい仕事というイメージがありますが、働き方も従来のパン屋さんにはないものだそうですね。

田村 パンを焼くときの1日のスケジュールを紹介しますと、まず朝の4時に薪窯に着火します。薪窯とは、レンガをアーチ状に組んで作った窯のことで、この窯で2時間ほど薪を燃やし、窯が十分に熱くなったら火を落とし、30分から1時間ほど待ってから、パン生地をどかどか入れていきます。約1時間でパンが焼き上がりますが、大きな窯なので、一度窯にパン生地を入れたら、それだけで1日に売る分のパンができ上がるという感じです。

 朝に窯を温めている間に、翌日焼くパンの仕込みをします。生地をこねて2時間置き、切って丸めて寝かせてカゴに入れ、冷蔵庫に保存します。パンの種類が少ないし、1個のパンが大きいので、あっという間に仕込みは終わり、それから次の日に使う小麦粉を量ったり、工房の掃除をしたりして、昼頃には仕事が終わります。なので、1日8時間労働ということですね。

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パンを店頭に並べる(現在は、店での販売は行っていません)

──お休みは週1日ですか。

田村 ヨーロッパから帰って店を再開したときは、日曜休みの週休1日だったんですが、2020年からは、週休3日に挑戦中です。その前の年に、ある方と対談したときに、「田村さんなら週4日労働ができるよ」と言われて、公開の場で約束してしまったものですから、やらざるをえなくなったんですが(笑)、いざやってみると、うまくいったんです。

 売り上げも下がらず、さっき言ったように昼頃には仕事を終え、ジョギングしたり、映画を観たり、飲みに行ったり、経理の仕事やブログを書いたりと自由な時間を過ごせるようになっています。

──パンは、どのような方法で販売されているんですか。

田村 以前は、午前8時から11時までは、パン工房の店先で無人販売し、次に広島市内にある店舗に運んで、正午から18時まで妻が販売したりしていたんですが、コロナの感染が拡大してからは、店での販売はなくなり、今はインターネットを通した販売だけを行っています。

製法で手を抜く代わりに、最高級の材料を使う

 
──2012年に、フランスやオーストリアのパン屋で1年間修業されたときには、どんなことを学ばれたんですか。

田村 実は、その前の2008年の夏にも、1カ月間、フランス、ル・マン近郊のパン屋「フーニル・ド・セドール」で研修させてもらったことがあるんです。そこに暑中見舞いを出したら、「フランスのパン屋で働きたい日本人を探してくれないか」という返事がきたものですから、渡りに船とばかりに、「私が行きたいです」とメールしました。

 というのも、2008年の研修のとき、パンのつくり方にも感動したんですが、何より彼らの暮らし方に衝撃を受けていたんです。その当時、フーニル・ド・セドールでは、私の店の3倍ものパンを焼いていたんですが、それでいてゆったりしていて、どんなに忙しく働いていても、食事はゆっくり食べるという具合で、とにかくゆとりが感じられたんですね。

 そのことがよみがえって、「ここに行けば新しい働き方のヒントが得られるはずだ」と思ったんです。それで、結婚したばかりの妻と2人で、1年かけて、働き方、生き方を盗んでこようと、店を休業してフランスに渡りました。

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薪窯に生地を入れてパンを焼く

──そこで目にされた働き方、生き方は?

田村 フーニル・ド・セドールを含めて、フランスでは2軒のパン屋で学んだ後、3軒目は、あるパン文化研究家の方の紹介で、オーストリアのウィーンにある「グラッガー」というパン屋で研修できることになりました。

 グラッガーに行って、「明日からお願いします」と挨拶すると、店主のグラッガーさんは、「じゃあ、明日の朝、8時に来てね」と言いました。それを聞いて、私の中にあるパン屋の常識では、「朝8時に工房に行くとすると、帰るのは早くて夕方、もしかしたら夜の7時、8時になるかも」と思いながら、覚悟して翌日お店に行ったんです。

 すると、お昼を過ぎた頃、教えてくれていた若手職人のデニス君が、「じゃあ、また明日!」と言って帰ってしまったんです。私たち夫婦はあっけにとられ、さすがに帰るにはまだ早すぎると思ってウロウロしていたら、窯でパンを焼く係のベテランのバルタンさんが、「もう仕事は終わりだよ。帰っていいんだよ」と教えてくれました。

「えっ、マジですか。まだ12時過ぎたばかりですよ。労働時間は4時間ですけど」と言うと、バルタンさんは、「今日は君たちが手伝ってくれたから、少し早く終わったけど、普通は8時に出社した人は、午後1時で終わりだよ」とあっさり言うんです。

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田村さんが焼いているのは、固くて大きく、日持ちがするシンプルなパン

──5時間労働なんですね。

田村 そうなんです。翌日もその次の日も、お昼には仕事が終わりました。どうやったら、こんな働き方ができるんだろうと思って、いろいろ話を聞いたり、観察したりして分かったのは、彼らのパンづくりは、日本人から見れば“手抜き”なんですね。大きなパンや、中に具が入っていないシンプルなパンばかりをつくり、小麦粉をこねあげたらすぐ成形して、冷蔵庫にしまって終わり。発酵もざっくりという感じで、翌日に焼くという具合なんです。

 でも、製法で手を抜く代わりに、材料は手に入る最高のものを使い、天然酵母で醸して、薪で焼いてパンをつくるんです。そして何よりも、食べてみると日本で食べるどのパンよりも断然美味しい。それに比べると、日本での私は、睡眠もそこそこに14時間から16時間あまりも働いて、スタッフもどたばたと働かせて、できたパンはここのパンより美味しくない。「一体、自分たちは何をやっていたんだろう」と思いました。

 手をかければかけるほど、時間をかければかけるほど良いパンが焼けると思っていたのに、実は手を抜いて最高級の材料を使ったほうが、パンをつくるのもラクで、値段も安い上に、ずっと美味しいと気づいたんです。

手抜きしてつくったパンはみんなに嬉しいものだった

 
──その体験が、働き方を変えることにつながるんですね。

田村 そうですね。まず自分の店で証明しようと思い、帰国して皆さんに「手抜き宣言」をしたんです。

「種類も製法も売り方も、営業時間も手を抜きます。でもその代わり、材料はベストのものです。粉は国産の有機栽培のもの、有機がなければ減農薬のものを使います。天然酵母で発酵させ、薪窯で焼くのも材料の一部と考えてのこと。もちろん材料代は倍以上に高いです。でもそれで、手間暇かけて、人手もかけて作るより、はるかに安く作れます。お客さまは、良い材料のパンを食べられます。当店としても、今までより美味しいパンを、安く、ラクに作れます」

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ヨーロッパのパン屋で

 つくるパンは、まずはハード系で大きくて固い、カンパーニュ、ブロンの2種類から始めました。だからパンを焼くのは私1人ですみますし、粉をこねて、どかっと丸めて冷蔵庫に入れたらそれで終わり。午前4時から12時まで仕事をするというスタイルになったんです。グラッガーのように5時間労働というわけにはいきませんが、8時間労働で、以前とはまったく違う心の穏やかさを得られるようになりました。

──なるほど。

田村 小麦粉の値段は、それまで使っていたものの2倍になりましたが、それでも、長い労働力や時間を浪費してパンをつくるより、はるかに安い。その結果、お客さんは、良い材料のパンを安く食べられるんです。さらに、大きくて固い、具の入ってないパンは日持ちするので、あまったパンは翌日割引して売ることができる。買ったお客さんもパンを冷蔵庫に入れておけば、1カ月近く食べられるというわけで、手抜きをしてつくったパンは、作り手やお客さんにも、そして小麦粉を提供してくださる農家さんにも、みんなに嬉しいものだったんです。

──ご著書にも、グラッガーの人たちの働き方は、「良い材料を使って、80点を目指す」とありましたね。

田村 以前は、一所懸命に100点のパンを目指していました。でも、グラッガーで研修させてもらって気づいたのは、80点を目指すなら、労働時間は簡単に半分くらいに減るということでした。

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ヨーロッパのパン屋で生地をこねる田村さん夫妻

 80点から100点を目指すには、毎日、同じ仕上がりで、形を揃え、色も切れ目もきれいにし、それでいて味も同じにしなければならない。この20点を上げる作業のために、今も日本中のパン屋で、とても多くの人手と時間が消費されているわけです。

 ところが、良い材料を使って普通に焼けば、特別なことをしなくても美味しいパンが出来上がるわけですから、材料を良くして80点を目指すと肩の力が抜けて、その良い感じの力の抜け具合がまた良いパンを生むということになるんですね。

「職人が80点で妥協していいのか」と疑問を持つ人もいるかもしれませんが、大丈夫なんです。毎日しっかり働いていれば、80点は、結果的には100点から120点になっているはずですから。

古いものに学ぶことが真のイノベーション

 
──ご著書にあった「古いものは古くならない」とは、具体的にどんなことですか。

田村 焼き立てのパンというのは、まさに「今」の新しさがウリです。でもそれは、2、3時間経って冷めてしまうと古くなってしまいます。本来、パンは冷めても美味しいものなのに、冷めると店頭から下げて捨てる対象になってしまう。斬新なアイデアのパンも新しさがウリですから、月日が経つとすぐ古くなってしまい、毎月のように新作を出し続けないといけなくなるわけです。

 そして、重要なのに意外と知られていないのは、そういう新しさをウリにしているパン屋自体も、他に新しいパン屋ができたり、若い世代が営むパン屋が台頭したりすると、宿命的に古くなってしまうんですね。だから私は、グラッガーの例にならって、新しさを追うことをやめ、焼き立てパン、新しいアイデアをウリにしたパンと決別し、古い手法に則ったパンをつくることにしたんです。

 人間は古いものが良いと分かっていても後戻りできないものですが、私は古い手法で前に進んでいこうと思いました。つまり古典的なつくり方でありながら、現代のパンよりも圧倒的に美味しく、存在感のあるパンをつくろうと思ったんですね。そういう方向を目指して前に進んでいったら、気づいたときには店の経営は安定し、「捨てないパン屋」になっていたということなんです。

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ヨーロッパでパンづくりの研修をしたとき、店のスタッフと

──「新しいもの」よりも、むしろ「古いもの」の方が、価値があるということは、他の分野にもありますね。

田村 「新しい」ということに最大の価値が置かれていたバブルのような時代は、もう終わっていると分かっているのに、また同じように、「新しく、斬新に、フレッシュに」を目指して邁進している企業や人が多い気がします。自分たちがつくる商品が、古くなるという恐怖におびえ、いつも安心できずに、クタクタになっても新しさを求める道を走り続けているんですね。

 だから私は、パンづくりにおいて、こういう流れを変えないといけないと考えたんです。目先の新しさを求めるのをやめ、古いものから学んで、もっとどっしりした100年後も通用するパンづくりを目指すことが、真のイノベーション(革新、新機軸)であって、それこそが実は新しいのではないかということです。「捨てないパン屋」を実現できたのは、“100年続くパンづくり”を追い求めた結果なんですね。

パンをつくり続け、パンを日本なりの文化にしたい

 
──パンはもともと日本になかったものですが、日本でパンづくりをされていることについて、どう感じていらっしゃいますか。

田村 もともと日本にパンがなかったということは、パンを必要としなかったということです。着物を着て、下駄を履いて、米を食べているのが日本人や、日本の自然風土に合っていたのかもしれませんね。

 ところが、歴史の荒波にもまれる中で、西洋のいろんな文化を受け入れざるを得なくなり、洋服を着て、革靴を履かなければならなくなった。そうした時代の流れのなかで、パンも日本にやってきたわけで、日本文化におけるパンは、“根なし草”と言ってもいいかもしれません。

 ヨーロッパでは長い歴史のなかで、ほとんど変わらない服を着て、変わらぬものを食べています。2000年前に火山の噴火によって、一夜にして灰に埋もれたイタリアのポンペイ遺跡に行ったことがありますが、パン屋や薪窯の跡が残っていて、今とそんなに変わらない生活をしていたことが分かりました。

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──ヨーロッパでは、パンが“主食”と言ってもいいですね。

田村 主食とは、それがないとその国の食が成り立たないというもので、ヨーロッパにおけるパンは、まさに主食です。研修させてもらったパン屋さんは、自分の店が休みでパンがないときは他の店でパンを買っていましたし、ヨーロッパでは食堂に入ると、何も言わなくとも無料でパンがカゴに盛られて出てきます。

 また、ヨーロッパのほとんどの家庭では、一つのお皿で食事を進めていくので、たとえばサラダを食べた後は、パンで皿をきれいにして、次のお肉をとって食べる。それを食べ終えたら、またパンできれいに拭いて食事を終えるんです。そんなふうに、パンはナイフやフォークと同じくらいに食事において必要なもので、決しておおげさでなく、ないと食事にならないのが、ヨーロッパにおけるパンなんですね。

 だから、雨だからパンが売れないだとか、季節によって売れ行きが全く違うとか、今年はあのパン、来年はまた別のパンが流行るという、日本のようなことはあまりないんです。

 まあ、そんなこんなで私たちは、パンを主食としていない日本に育っているため、どんなパンが良いのかということは、誰にも分からないというのが正直なところで、つくっている私だって分かりません(笑)。でも、「もの真似でもいいから、必ず追いついてやる」というすごいエネルギーを持っているのが日本人ですから、私もそれにならって、いつか日本なりのパン文化をつくってやろうじゃないかという意気込みで、これからもパンをつくり続けていこうと思っています。