32歳・男性(匿名)
私は年少の頃から、生長の家の教えを信仰していた母に連れられて、生命学園*1に通っていました。そこで講師の先生からとても可愛がられ、他の参加者の子たちと一緒にお菓子作りをしたりするなど、楽しく過ごしていたことを覚えています。
*1 幼児や小学児童を対象にした生長の家の学びの場
ところが、小学2年生になった頃から、クラス担任の目が届かない休憩時間に、一部の同級生からいじめを受けるようになりました。何を言われたか今は覚えていないのですが、悪口を言われてとても傷つき、学校に行くのが嫌になってしまったのです。
心配をかけまいと、母にはいじめられていることを打ち明けませんでした。しかし、私の異変を感じていた母は、学校の先生や生長の家の講師に相談をしていたようです。母に勧められて夏の小学生練成会*2に参加し、講師から「『私は素晴らしい神の子です』と、一日に何十回と唱えたらいいんだよ」と言われたのですが、当時は意味が理解できず唱えることはありませんでした。
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
3年生のクラス替えで、いじめをしてきた子たちとは別々のクラスになったのですが、人と接するだけで恐怖心を覚え、常におどおどした態度をとるようになってしまいました。それを同級生からからかわれ、中学を卒業するまで不登校を繰り返しました。
高校生になると、普通に話をしたり、昼食を一緒に食べたりする友達ができたのですが、いじめられた記憶を払拭できず、時折学校に行けなくなることもありました。
良くなりたいのに変われない
高校卒業後、調理師になる夢を描いていた私は、調理師専門学校に通うため一人暮らしを始めました。希望を胸に抱いて入学したものの、陰口を言われているような気がして、常に周囲の顔色をうかがってしまいました。
母に電話で弱音を吐くと、「あなたは素晴らしい神の子だから絶対、大丈夫!」と勇気づけられ、一旦は気持ちが前向きになるのですが、数日経つと暗い想念に押し潰されてしまい、休学した後、1年で退学してしまいました。
実家に戻った私は「このままではいけない」という思いから、製造関係の就職先を探しはじめました。しかし、良さそうな求人を見つけても、一歩を踏み出す勇気が持てなかったのです。
そんな頃、叔父に勧められて若者の就職を支援する施設に通い始め、履歴書の書き方を教わり、模擬面接の練習を重ねたことで、面接を受けられるまでになりました。ただ、就職活動では内定をもらえたこともあったのですが、自分に自信が持てず結局辞退してしまい、そんな自分に嫌気が差して、家に引きこもるようになってしまったのです。
傍を楽にする
その後、24歳のときに、母の知人から教化部*3で働いている青年会*4の方を紹介され、時折、電話やメールでやりとりをするようになりました。その方に誘われ、教化部の仕事や練成会などの行事を手伝うなかで、徐々に教化部の他の人たちとも話ができるようになっていきました。
*3 生長の家の布教・伝道の拠点
*4 12歳から39歳までの生長の家の青年の組織
教化部に行くのが楽しみになっていたある日、ふと青年会の方に「人が怖くて働くことができない」と相談すると、「働くとは『傍(はた)を楽(らく)にする』ことだから、周囲の人を楽にする他者貢献なんです。こうして手伝ってくださっているあなたの表情は輝き始めているから、いい方向に向かっていますよ」と励まされました。
私は自分の表情を褒められたことがとても嬉しくて、気持ちが前向きになりました。そんなとき、あるスーパーマーケットが新規出店に伴い社員を募集しているのを見つけ、応募したところ採用が決まりました。そこで6年間仕事を続け、仲の良い同僚もできましたが、もっと自分に合った仕事をしたいと思い、現在は特別支援学校の教諭をサポートする仕事をしています。
引きこもりをしていた時期は、苦しくて部屋の片隅で泣いていたこともありました。でも信頼できる人間関係があれば、不安や恐怖を乗り越えられることを知りました。「あなたは素晴らしい神の子なんだよ」という母の励ましの言葉を信じて、これからも人のためになることに取り組んでいきたいと思います。