「自然」という言葉を聞いて、読者のみなさんはどんなことを想像されますか? 辞書を引いてみると、その定義は「人為によってではなく、おのずから存在しているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる」(『大辞林』第三版、三省堂刊)とあります。

 普段の生活において、自然を意識する機会は少ないかもしれません。なぜなら、自然は私たちの身の回りに当たり前のように存在しているからです。

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自然の恵みに生かされている

 
 しかし、忙しない日常を送り、心をすり減らすようなことがあった時、花壇に植えられた美しい花々に目を向けたり、小鳥のさえずりに耳を傾けてぼーっと景色を眺めていたりすると、不思議と心が安らぐ。そんな経験をしたことはありませんか? 

 これは自然に触れることでストレスホルモン(コルチゾール)や、血圧・脈拍数が低下し、副交感神経活動が高まる(リラックスする)からだそうです。

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 ストレスを抱えることが多い現代において、そのような自然から受ける好影響は「自然の恵み」と言えるかもしれません。

 しかしそれだけでなく、健康な身体を維持するために必要な食物や水、さらに空気や日光など、私たちは様々な自然界からの恩恵を常に受けて生きています。「生かされている」と言っても良いでしょう。

神・自然・人間は本来一体

 
 自然界のシステムは「適者生存」「弱肉強食」という言葉で表現されることが多いですが、最近の研究では、土壌微生物や植物、昆虫などが相互に密接に協力し合い、共存共栄する様子が明らかになりつつあるようです。

 宇宙誕生後、地球上にこのような複雑かつ調和の取れたエコシステムが現れたことは極めて稀であって、「奇跡」としか言いようのない程、低確率な出来事なのです。

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 そのような奇跡を生んだ第一原因者を「神さま」と表現するなら、神さまをきっかけに、私たち人間や万物(自然)が誕生したことになります。ですから、生長の家では人間も自然も、神さまのもとではひとつ(一体)であると説いています。

 そうした広大なスケールで考えてみると、私たちが「なぜ今ここに生きているのか」という哲学的な問いに対する回答のひとつとして、「他者との共栄のために生きている」と言えるかもしれません。他者とは、自分以外の人も自然も含めた万物という意味です。

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自然との共存共栄のために

 
 大地震や洪水、山火事など、自然は時として「脅威」となって目の前に現れることがあります。しかしそれが地球温暖化のように、人間の行動によってもたらされるものだとすれば、行動を改めることが、人間と自然が共存共栄するための道ではないでしょうか。

 では、自然とともに生きるために、私たち一人ひとりができることは何でしょうか? まずは、自然を想う心を持ち、自然環境に配慮した小さな行動を日常生活に取り入れてみましょう。それだけで十分素晴らしい貢献だと私は思います。

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山田真史
生長の家本部講師補

生長の家青年会会長。1982年滋賀県出身。IT関連商社の技術職として9年間勤め、2016年から生長の家国際本部に勤務。休日は自転車、畑や庭の手入れなどを楽しむ。