A ドイツは立憲主義の最先端にありましたが、「緊急措置権(きんきゅうそちけん)」を認めたため、ナチスが台頭し、独裁体制になりました。
前回、外見的立憲主義の日本では、個人の尊重が軽視されて人権が制限されたため全体主義に陥(おちい)り、戦争で多くの人命が失われたことを紹介しました。では日本以外の、個人を尊重(そんちょう)する立憲主義の国では、人権保障と権力分立は守られたのでしょうか?
ドイツは第1次大戦後、立憲主義の最先端を行く国でした。1919年に制定されたワイマール憲法において、国民主権、大統領の直接公選制、議院内閣制が採用され、弱者救済のための社会権が世界で初めて保障されていたのです(*1)。まさに「現代立憲主義の先駆けになった憲法(*2)」でした。しかしこの憲法の下で、ナチスが台頭(たいとう)し、独裁体制が敷かれてしまいます。その原因となったのが、「緊急措置権」でした。
ワイマール憲法では、国会と大統領の均衡の上に政府が国政の方針を定めるという「二元主義」が採用され、これが「民主政治の理想型」と考えられていました(*3)。その一方で、大統領には非常時に人権保障や権力分立を停止できる緊急措置権が与えられていました(*4)。
1929年に世界恐慌が起きると、ワイマール共和国では社会不安や経済破綻(けいざいはたん)への対処をめぐって政党同士が激しく対立し、国会で法案が成立しないという事態が起きました。そのため、政府は大統領へ依存し、緊急措置権に基づく「大統領緊急令」が乱発されました。30年からの3年間で、実に115件も発令されています(*5)。
大統領緊急令は法律に代わる効力を持つため、政府は大統領を動かすことができれば、国会の意向とは無関係に政権を運営することができました。こうした状況のなか、労働者以上に生活水準が落ち込んでいた中産階級の不満の受け皿となったナチスが勢力を伸ばし(*6)、選挙で第一党となりました。その後、ヒトラーが首相になると(1933年)、大統領緊急令を悪用し、独裁体制を築いていったのです。
次回は、その過程を紹介します。
*1 「ワイマール憲法」(『ジャパンナレッジ』)https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=429(2018年6月17日アクセス)
*2 伊藤真著『憲法問題』235ページ、PHP新書刊
*3 長谷部恭男、石田勇治著『ナチスの「手口」と緊急事態条項』21〜22ページ刊、集英社新書刊
*4 前掲書、26〜28ページ
*5 前掲書、35〜36ページ
*6 橋爪大三郎著『国家緊急権』67〜68ページ、280ページ、NHKブックス(電子書籍)刊