A 大日本帝国憲法の緊急勅令は、治安維持法を拡大する契機になりました
憲法改正の候補の一つとされている「緊急事態条項(きんきゅうじたいじょうこう)」(国家緊急権)とは、戦争や内乱、大規模な自然災害などによって国家の存立(そんりつ)が危(あや)ぶまれる非常事態のときに、国家が権力を行政権に集中させ、人権を一時的に制限できる権限のことを言います。
この国家緊急権の行使は、歴史上、国家権力を暴走させた例があり、前回は、ワイマール憲法下で起こったナチスの独裁を見てきました。では、大日本帝国憲法(明治憲法)については、どうだったのでしょうか。
緊急勅令と治安維持法
国の統治権(とうちけん)を天皇が総攬(そうらん)(掌握(しょうあく))し、国家権力が非常に強かった明治憲法には、緊急勅令(きんきゅうちょくれい)、戒厳令(かいげんれい)、非常大権(ひじょうたいけん)、緊急財政措置権(きんきゅうざいせいそちけん)という、4つの国家緊急権の規定がありました。
緊急勅令とは、議会閉会中の緊急時、天皇が法律にかわる勅令を発することを認めた規定のこと。戒厳令とは、天皇の宣言により国の統治権の相当部分を軍の指揮下に移すこと。非常大権とは、戦争など国家存亡の時に、天皇が国民の権利を停止できる規定のこと。緊急財政措置権とは、緊急時に議会が招集できない場合、政府が勅令によって必要な財政措置を行えるという規定のことです。
そのうち、最も濫用(らんよう)されたのが緊急勅令です。1928年(昭和3年)に、共産主義運動を取り締まる治安維持法(ちあんいじほう)の改正案が議会で廃案(はいあん)となりました。改正案は、「国体の変革」を目的に結社を組織したり、その指導者となったものの最高刑を死刑とし、結社の目的に寄与する一切の行為を罰する「目的遂行罪(もくてきすいこうざい)」を新設するものでした。ところが、ときの内閣は緊急の必要ありとの名目で、緊急勅令を使って、改正案を成立させてしまいます。
その後、治安維持法は一度の改正を経て、学問・思想・言論の自由を制限し、反体制派を弾圧する法的根拠として猛威(もうい)をふるい、1945年に廃止されるまで、逮捕者が数十万人に及ぶ、悪名高い法律となるのです。