井形京子
(64歳) 大阪府富田林市

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 私は結婚する際、姑と同居することになると夫から告げられました。その頃、義父は離れて暮らしていて、夫が家を出れば義母は1人になってしまいますし、私は幼い頃から祖母と同居していたこともあり、その申し出を何の抵抗もなく受け入れました。

しかし、夫の家で初めて姑と顔を合わせた時、いきなり「嫁入り道具をきちんと揃えて来なさい」と言われたのです。その言葉に驚きましたが、夫は「親と揉めたくないから、言うことを聞いてくれ」と言うばかりで、従うほかありませんでした。

撮影/永谷正樹

撮影/永谷正樹

新婚旅行のお土産のハンドバッグも気に入ってもらえず、「これは相当に我慢して暮らしていかなければ」と覚悟を決めました。しかし、私の両親のことを、義母が平気で悪く言うことが我慢できず、もう一緒に暮らしていけないと離婚も考えて実家に帰りました。

その時、夫が迎えに来て、「母は月に10万円の生活費を入れてくれれば、別居に応じると言っている」と説得され、しぶしぶ承諾して姑と別居することになりました。しかし、夫の給料だけでは生活できないため、私は仕事を続けることにしました。

「病、本来無し」の教えに導かれる

長男が生まれて3カ月になる頃、保育所から私の職場に電話が掛かってきました。長男に喘息のような呼吸音が聞こえるので、病院へ連れて行ってほしいというのです。検査の結果、生まれつき心臓の壁に穴が開いている心室中隔欠損症と診断されました。幸い命に別状はなく、「手術はいつでもできるので、しばらく様子を見ましょう」ということになりました。

そんな時、自宅の郵便ポストに『白鳩』誌が投函されていました。読んでみると、ちょうど病気についての特集号で、「病は迷いの心の影であって、本来無い」ということが書かれていました。そして生長の家のお経の『甘露の法雨』*1『生命の實相』*2という本を読むことで、病気が治った体験談が載っていて、「これで救われる!」と直感しました。
*1 現在品切れ中
*2 生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊。全40巻 

 

 

「自分も素晴らしい神の子だと気づいて、目が覚めました」(撮影/永谷正樹)

「自分も素晴らしい神の子だと気づいて、目が覚めました」(撮影/永谷正樹)

翌日、大阪市内の教化部*3に行き、『生命の實相』の第1巻、第7巻と『甘露の法雨』を買い求めました。一刻も早く長男に治ってほしくて、帰りの駅のホームで『甘露の法雨』の包装を破いて読み始めました。
*3 生長の家の布教・伝道の拠点

冒頭に「『七つの灯台の点灯者』の神示*4」という文章があり、「和解」が大切ということが書いてありました。そして、「汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である」という一節が目に入った瞬間、突然カメラのフラッシュのような真っ白な光で包まれました。「そうだ、息子のためには、姑に感謝できる私にならなければならない」と思ったのです。
*4 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉

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そして、『白鳩』誌の裏表紙に記されていた連絡先に電話をすると、その日のうちに講師が家まで来てくれました。私の話を親身に聞いて、「よく頑張ったね」と優しく言って下さり、堪えきれず号泣しました。

すぐに家族3人で聖使命会*5に入り、指導されるまま神想観*6を始め、母親教室*7や誌友会*8に参加するようになりました。そうするうちに2人の女の子にも恵まれ、長男も手術不要のまま順調に成長してくれました。
*5 生長の家の運動に賛同して献資をする会
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法
*7 母親のための生長の家の勉強会
*8 教えを学ぶつどい

姑と信頼し合える関係に

その後、夫が転勤を繰り返すうちに再び姑と同居するようになり、関係も少しずつ良くなっていきました。しかし姑は、なぜか3人の子どものうち下の子だけを可愛がり、真ん中の子にはことさらつらく当たるのです。これが私にはたまらなく悲しいことでした。

それでもいつかは姑に感謝できるようになりたいと思い、「和解の神想観」を実修して、「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。私とあなたとは神において一体です」と祈りました。

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初めのうちは、唱える言葉とは裏腹に般若のような姑の顔が思い浮かんできましたが、1カ月経った頃からそれが消え、ごく普通の表情が思い浮かぶようになりました。3カ月が過ぎてからはニコニコ顔に変わり、次第に自分の中に姑が入ってくるような感じがして、姑と私は一体であると思えるようになっていきました。そして、「お義母さんの本当の姿は、神の子なんだ」と素直に思えるようになったのです。

ただ、こうした心境にまで辿り着いたものの、その一方で「お義母さんは神の子だけど、私はどうなの?」と気にかかるようになりました。

ちょうどその頃、誌友会で講師から「あなたは素晴らしい神の子ですよ」と讃嘆されました。そして、その言葉が心の底まで深く響きました。

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それまでの私は、周囲を変えたいと思うばかりで、自分のことは放りっぱなしでした。ところが私のことも「神の子」と言っていただいたことで、「自分も幸せになれるんだ!」と目が覚めたのでした。

その日は、誌友会が長引いて帰りが遅くなってしまいました。いつもは帰宅が予定時刻を過ぎてしまうと、姑は怒鳴りつけるような感じだったのですが、「ただいま」と声をかけると、「お帰り!」と笑顔で迎えてくれたのです。こんなことは初めてでした。

この時から、姑との隔たりがなくなっていき、信頼し合える関係になることができました。その後、姑は認知症で施設の世話になったものの、日に日に表情が柔らかくなっていきました。それから1年ほどして姑は亡くなりましたが、施設の人たちからは、「明るくて優しいお義母さんで、お嫁さん幸せだったね」と言ってもらえたのです。

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教えに触れる前の私は、「周囲を変えたい」と思っていました。でも、それは「正しいのは自分」と思う心の裏返しだったようです。自分はそのままで完全円満な神の子であり、執着をなくして“そのままの心"になると、ことさら「変えよう」と思わなくても、周囲がひとりでに変わったのでした。

今では、結婚当時に離れて暮らしていた義父を迎えることができ、長男や長女、次女はそれぞれ独立して幸せな家庭を築いています。

厳しかった義母も、病気を現した息子も、実は私を生長の家に導くためにそのような姿で現れてくれた観世音菩薩*9だったと感謝しています。今は大阪教化部に勤め、この教えを多くの人にお伝えして、幸せになっていただきたいと思っています。
*9 周囲の人々や自然の姿となって現れて、私たちに教えを説かれる菩薩