私は5年もの間、子宝に恵まれなかった両親の待望の子どもとして生まれました。一人っ子ということもあって、両親からたくさんの愛情を注がれ、特に母は過保護すぎるくらいでした。そんな母を少し重たいなと感じながらも、いつしか母を頼りにするようになり、反抗期らしい反抗期も無いまま育ちました。

 社会人になってからも実家で暮らし、23歳の頃、当時お付き合いをしていた現在の夫と父と3人で、食事をする機会がありました。彼はお酒に強くないのに、父に勧められるまま頑張って飲んでいる姿は可哀想でしたが、上機嫌な父を見ると思わず笑みが漏れ、幸せな時間となりました。

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 それから間もなくのことです。ある晩、父は飲み会に出かけて、私と母は先に床につきました。ところが、突然の電話の音で目を覚まし、出てみると警察からで、父が道路を横断中に、車にはねられて亡くなったと言うのです。まさかと思いながら動転する母を車に乗せ、「きっと人違いだよ。大丈夫だから」と励ましながら病院に向かいました。

 病院には、すでに冷たくなった父の姿がありました。突然のことで頭がついていかず、泣きながら謝り続ける相手方の言葉も、どこか他人事のように聞いていました。悲しむ間もなく通夜、告別式と慌ただしく日が過ぎ、すべてが終わった後にようやく感情が追いついてきて、母と二人で泣きました。

 母はすっかり塞ぎ込んでしまい、四十九日まで毎日お墓参りをしては泣いていました。父とはお酒のことで喧嘩ばかりしていたのに、本当は深く愛していたのです。悲しみに暮れる母の姿に、私がしっかりしなければと気丈に振るまい、家事に仕事に専念しました。母もいつまでも私に心配をかけてはいけないと思ったようです。互いを思いやるなかで、私たち母子の絆はいっそう強まりました。

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 夫には郷里に戻りたいという希望がありましたが、私のことを気づかって婿養子になってくれました。ですが、母は私を取られたように感じたのか、「まだ家族の一員として認めていない」という雰囲気を出していて、夫も母に遠慮していました。それが気がかりでしたが、時間が経てば距離も縮まるだろうと、楽観的に考えていました。

突然の夫の一言

 
 結婚して5年が経ち、待望の子宝に恵まれました。母の喜びようは大げさすぎるくらいで、「よく産んでくれた」と感極まり、娘のお宮参りの着物まで贈ってくれたのです。

 私は産休を取って育児に専念するようになりましたが、仕事を辞めるつもりはありませんでした。そんな希望を母に伝えたところ、娘の面倒を見ると言ってくれたので、産休が明けてすぐに職場復帰しました。ところが、もともと世話を焼きすぎる母は、手のかかる幼い娘をかまいすぎて、1カ月も経たないうちに参ってしまいました。

 そんな状態ではさすがに仕事を続けるわけにもいかず、専業主婦になることを夫に相談すると、「本当は仕事に復帰する時も相談してほしかった」とこぼしました。その時に夫の気持ちに気づくべきだったのですが、夫が賛成してくれたことに安心して、それ以上深く考えることはなかったのです。

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 娘が小学2年生になって手がかからなくなると、近所で募集していた調理補助のパート勤めを始めました。その矢先、娘はクラスメートからからかわれたことに傷ついたようで、学校に行けなくなってしまったのです。どうしたら良いか分からず夫に相談すると、夫は暗い顔をして最後に一言、「離婚しないか?」と言いました。

 突然の言葉に心当たりがまったく無かった私は、「なぜそんなことを言うの? 何か悪いことした? 悪いところがあったら直すから教えて!」とすがりました。でも、「言っても君には分からないよ」と、冷たい返事が返ってくるだけでした。「とにかく、離婚する方向で考えておいて」と突き放され、それからの生活は、どん底でした。

もっと夫に甘えればよかった

 
 職場でも悲嘆にくれていた私の相談に乗ってくれたのが、ひときわ明るい女性の先輩職員でした。彼女は仕事の後に時間を作ってくれて、私の話を聞くと、「あなたって、いつもお母さんが中心なのね。 ご主人のことは考えてないでしょ?」と指摘しました。

「ああ、昔から何をするにも母が頼りで、結婚してからもまずは母で、夫にはすべて事後報告だった」と、頭を殴られたような衝撃を覚えました。

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 彼女は生長の家を信仰していて、「夫婦が調和していれば、子どもの問題も自然と解決していくわよ」と話し、夫や娘の良いところを毎日ノートに書き留めることを勧めてくれました。

 家に帰り、さっそく家族の良いところを書き出そうとしましたが、すぐにペンが止まり、何も浮かんで来ないのです。情けなくて涙が滲んできました。それでも、「優しい」とか「気づかいが上手」など、ありきたりな言葉を書いているうちに、夫が昔、話してくれたことを思い出したのです。

 夫は動物好きで、以前、怪我をした鳥を見つけたときには、飛べるようになるまで手当をしてあげたそうです。娘も夫に似て、周りのことを考えられる優しい子に育ってくれました。そういったことに思いを馳せながら、「優しい」「思いやりがある」と書いていると、その言葉はただのありきたりな言葉ではなく、家族への深い愛と感謝の実感が伴ったものに変わりました。

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 夫との関係も、少し離れた視点で見られるようになっていきました。私は一人っ子だったので、きょうだいの多い夫のように誰かと協力するという経験がありませんでした。だから、何か迷うことがあると、夫に相談もせずに一人で決めていたのですが、そのたびに夫は寂しい思いをしていたのです。

 夫は毎年、数日間寝込むことがありましたが、それは母との軋轢(あつれき)などのストレスから来るものだったのかもしれません。夫の気持ちを汲んであげられなかったことを思うと苦しくなり、申し訳ない気持ちになりました。

もっと夫を頼って、甘えればよかったんだ……。そう気がついたとき、答えが見つかったような気がしました。(つづく)

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