私は生長の家の信仰をもつ家庭で育ち、幼い頃から「あなたは神の子で、すばらしいのよ。大丈夫、大丈夫!」と、よく母から言われました。そのように育てられれば、普通なら心安らかとなり素直に成長するものですが、なぜか私はそんな母が大嫌いでした。
母は同居する祖父の厳しい言葉を素直に聞いているのに、陰で私には愚痴を言うのです。そんな裏表のある母を子供心に裁いていたのでした。その一方で、忙しいなかでも野球観戦に連れて行ってくれたり、キャッチボールをしてくれたりする父が大好きでした。
ところが、高校生の頃、親戚から、母は後妻で我が家に嫁いだ後に私を産んだこと、姉と私は異母姉妹であることを初めて聞かされました。
普通の家庭だと思っていたのが、実は複雑な事情があったと知り衝撃を受けました。さらに父は婿養子であり、母はその後妻なので、私は熊林家とは血がつながっていないこともショックでした。
やがて社会人になり、生長の家青年会(*1)の仲間たちと教えを学ぶようになりました。しかし、「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という一節が生長の家の神示(*2)にあるにもかかわらず、母に心から感謝することはできませんでした。
ある日、我が家に生長の家の教えが伝わったきっかけを、父に聞いたことがありました。父は熊林家の一人娘と恋愛の末結婚して婿養子となり、私の姉が誕生しました。ところが、姉の母は肺結核を患い、27歳の若さで5歳の姉を残して霊界に旅立ってしまいました。
死後、遺品の中にあった生長の家のお経や本を父と祖父が読んで感動し、この教えを信仰するようになったというのです。父は熊林家に残り、母と見合い結婚をして、私が誕生したのでした。
私はその話を聞いて、父の先妻が命懸けで生長の家の教えに救いを求めていたことに感動しました。しかも、その思いを受け継いだのが後妻である母だったのです。母は毎日仏壇で聖経『甘露の法雨』(*3)を誦げて、先祖供養を欠かしませんでした。
家族のために一所懸命に働き、熊林家や父の実家の親戚とも親しく付き合いました。そして、先妻の娘である姉のことも、私と同じように愛していました。
そんなある時、『神と偕に生きる真理365章』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)を読んで、継母(ままはは)は跡をつぐ継母(つぎはは)であり、母なる理念を継ぐ「本当の母」であると知りました。その頃から、私の中で母に対する気持ちが変わっていきました。
振り返ると、愚痴をこぼす母に対して嫌悪感を抱き、母の苦労をわかってあげられませんでした。親戚から、「あなたのお母さんはとっても苦労したんだから、大事にしてあげてね」と言われても、その言葉を素直に受け取れなかったのです。
母は辛かったんだろうな……、それを娘である私にわかってもらえず悲しかったんだろうな……と母の気持ちに寄り添えた時、何もかもが吹っ切れたような気がしました。
これまで幾度となく見えない力の導きを感じることがありましたが、それはご先祖様のおかげだと思い至り、護りと導きに感謝の気持ちが湧きました。同時に、この教えを信仰することへの使命感が込み上げてきたのでした。
父は平成19年に、母は平成25年に安らかに霊界に旅立ちました。今、私は姉と姉の孫の3人で暮らし、月に何度も、ご先祖様と両親の墓参りをして、感謝の思いを深めています。
*1 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*2 生長の家創始者・谷口雅春先生に下された言葉
*3 生長の家のお経のひとつ。現在品切れ中
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熊林由美子(生長の家地方講師)
生長の家教職員会岩手教区会長。体を動かすことが大好きで、夏は自転車通勤を欠かさない。毎月、生命学園の子どもたちと、真理を学ぶことを楽しみにしている。